ものそのものに善悪はない



「BAZOOKA 111 徹底検証!タバコは本当に身体に悪いのか? 武田邦彦」

https://www.youtube.com/watch?v=bxsLIOyXa58&feature=youtu.be

もしタバコが、有害な植物であるというならば、では何のためにあるのか。

神が創造されたものである以上、必ず人間にとって利益があるはずである。

神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。(創世記1・31)

すべての被造物は、「非常に良かった」。

もしクリスチャンがタバコの存在を害悪とするならば、神の被造物にいちゃもんをつけている。

これは、聖書を否定する罪、死に至る罪である。

神を超越しようとする傲慢である。

アルコールにしろ、タバコにしろ、大麻にしろ、誰が禁止した、または、禁止しようとしてきたのか。

神が「非常に良かった」と評価したものを誰が否定しようとしているのか。

イルミナティである。

以前も紹介したように、禁煙運動の起源はヒトラーである。

http://www.millnm.net/qanda4/67UOIjyn2HOD252865.htm

ヒトラーは、『シオンの長老』が選んだエージェントである。

http://ameblo.jp/millnm/entry-12033817914.html

誰が禁酒運動をしたのか。

イルミナティ13血族の一つ、アスター家である。

http://ameblo.jp/64152966/entry-11904673464.html

誰が大麻を法律で禁止したのか。

ロックフェラーだ。

なぜ、大麻が他の薬物と一緒に100年も禁止されてきたか?
<理由>
1.ロックフェラー勢力が、石油化学製品の台頭を狙っていた
2.石油から作った医薬品を主流にするため

2011年、ロックフェラーの失脚以来、大麻の解禁が続いている。

アメリカはやっと「大麻」の使用を認めた
2012年12月、アメリカで画期的な法案が可決。
カリフォルニア州とアラスカ州で同時に行なわれた。
「個人的な利用目的に限り、マリファナの所持と使用を認める」
法律が成立した。

そして、2013年以降も、解禁の余波は続いている。

大麻に関するものは意図的に間違った情報が流布された経緯もあり、日本国内でもそれを用いた人間は精神を病み、身体を崩壊させ、廃人のようになって衰弱死するといった危険な覚せい剤と思われてきた。

しかし、実際には多くの研究で、マリファナの毒性はタバコよりも少なく、依存性はアルコールよりも低いことがわかっている。そのため他の多くの国々ではすでに取り締まりはしておらず、未だに厳しく取り締まっているのは日本とアメリカくらいなのだ。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=301769

参照:

https://www.youtube.com/watch?v=aaOTAdp0TX8&feature=player_embedded

カルヴァン派は、伝統的に禁酒禁煙ではない。

禁煙を主張した一派は、グレシャム・メイチェンのグループから別れた。

正統的カルヴァン派の流れには、禁欲思想はない。

今日の福音派における、禁酒禁煙主義は、けっして聖書から来ているのではない。

それは、むしろ反聖書的であり、創造者なる神に対する反逆である。

聖書の思想は、被造物そのものは、よいものである。

使う人の動機によってよいものにも、悪いものにもなる。

主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。(ローマ14・14)

ものそのものを穢れているという考え方は、旧約時代で終わった。

旧約時代は、霊的な事実を実物で教育するために、ものそのものを聖いとか聖くないとか区別をつけた。

たとえば、睾丸がつぶれた人は穢れているとみなされた。

こうがんのつぶれた者は、主の集会に加わってはならない。(申命記23・1)

それは、男性が男性らしさを喪失することを戒めている。

男性は、男らしく神の国のために強くたくましく働かねばならないという教えである。

新約時代になって実物教育の時代ではない今日、こうがんのつぶれた者が差別されるべきではない。

服装倒錯も禁じられていたがこれも同じ理由である。

女は男の衣装を身に着けてはならない。また男は女の着物を着てはならない。すべてこのようなことをする者を、あなたの神、主は忌みきらわれる。(申命記22・5)

では、今日、女装趣味は許されるかというと、そうではない。

女装趣味は、明らかに男性が男性らしさを喪失することを意味するからである。

神は、人間に性差を与えられた。

その区別を人間が撤廃してはならない。

次第にユニセックス化している現代文明は、神に対する挑戦である。

クリスチャン教育では、男性は男性らしく、女性は女性らしく育てるべきである。

ものそのものに善悪はないが、使う人の動機によって善にもなれば悪にもなる。

この原則を教会はもう一度復活すべきである。

 

 

2015年6月14日



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