「いのちの書」から名前を消されないために
しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。
私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。(ガラテヤ1・8-9)
1.
人間に間違いはつきものである。完璧な人間などいない。
クリスチャンでも罪を犯す。罪を犯したときに、イエス・キリストによる救いに基づいて悔い改めをすれば赦される。
通常の罪には、赦しが用意されている。
しかし、「義認」の教理における間違いには赦しはない。
「私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれる」のである。
パウロはこのガラテヤ書において「信仰義認」を説いた。つまり、信仰義認を否定し、行為義認を受け入れるならば、呪われるのである。
2.
予定論は「超越者の絶対主権」という基本教理に基づいている。
予定論を否定するローマ・カトリックやアルミニウス主義のプロテスタントの教派には、人間に救いの主導権を与える「隠れた動機」があり、それは、世界をインマヌエル・カントの「人間教」に導いた。
アルミニウス主義の予見予定論は、ダムに開いた小さな穴である。キリスト教という名のダムは、インマヌエル・カントにおいて決壊した。
ダムを築き直すためには、予定論を復活させる必要がある。
3.
ある福音派の高名なリーダーがラッツィンガー(教皇ベネディクト14世)の神学を高く評価しています。
ラッツィンガーは、エリザベス女王とともに、国際慣習法裁判所において、前教皇とともに、子供5万人大虐殺の罪で懲役25年の有罪判決を下されている。
https://ameblo.jp/atom-green-0201/entry-11479257789.html
Wikipediaによると、ラッツィンガーは、理性主義者で、「行為義認」を主張する第2バチカン公会議に反対しなかったとのこと。福音派はローマ・カトリックに完全に騙されている。
”Benedict emphasised that the Tridentine Mass would not detract from the Council”
(ベネディクトは、トレントミサ[ベネディクトが提唱したミサの形式]が公会議[つまり第2バチカン公会議]からの逸脱ではないと強調した。)
https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Benedict_XVI#Christianity_as_religion_according_to_reason
第2バチカン公会議では、「行為義認」が説かれている。
”The Second Vatican Council (1963-65) indeed corrected certain abuses by making new rules, but Rome upheld the whole system of salvation by meritorious works.”
(第2バチカン公会議(1963-65年)では、新しい規則を作ることによって明白な誤用を修正したが、ローマ[・カトリック]は、善行による救いの全体系を支持した。)
https://standardbearer.rfpa.org/node/50230
プロテスタントは、アルミニウス主義とディスペンセーション主義を通じてローマ・カトリックを受け入れるように誘導されてきた。
「非予定論」と「行為義認」の教理を少しでも受け入れる者は、「いのちの書」から名前を消されることを覚悟されたし。
2018年5月17日
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