神の言葉は「両刃の剣」であり滅びを招く危険性がある



マタイ13章、毒麦の例えの件。

39節中、
新契約聖書では
「〜また穫り入は世の完成なり。〜」
とありますが、
多くの日本語聖書では
「収穫とはこの世の終りのこと〜」と
改ざんされています。

"完成"と"終り"は
一見似ている気がしますが
別の概念です。
アーメン。

(1)
同意します。

原語(ビザンチン)では、

o de qerismoV sunteleia tou aiwnoV estin
http://www.millnm.net/qanda4/matt13_39.jpg

となっています。

And the reaping is "sunteleia" of the "aiwnoV"
刈り入れとは、「アイオーノス」の「スュンテレイア」である

と訳せます。

「スュンテレイア」とは、completion, consummation, end(完成、成就、終わり)です。
http://biblesuite.com/greek/4930.htm

「アイオーノス」とは、1) for ever, an unbroken age, perpetuity of time, eternity(永遠) 2) the worlds, universe(世界、宇宙) 3) period of time, age(時代) です。
http://classic.net.bible.org/strong.php?id=165

ですから、この箇所は、

刈り入れとは、「世界または時代」の「完成、成就、終わり」である

という意味になります。

ですから、問題の部分は、「世界の完成」「世界の成就」「世界の終り」「時代の完成」「時代の成就」「時代の終わり」と訳せます。

英語訳聖書では、次のように訳されています。

King James Version
the harvest is the end of the world(収穫とは世界の終わりである)

American Standard Version
the harvest is the end of the world(〃)

Bible in Basic English
and the getting in of the grain is the end of the world(そして、穀物の収穫は世界の終わりである)

Darby's English Translation
and the harvest is the completion of the age(そして、収穫は時代の完成である)

Douay Rheims
But the harvest is the end of the world. (しかし、収穫は世界の終わりである)

Noah Webster Bible
the harvest is the end of the world(収穫は世界の終わりである)

Weymouth New Testament
the harvest is the Close of the Age(収穫は時代の終わりである)

World English Bible
The harvest is the end of the age(収穫は時代の終わりである)

Young's Literal Translation
and the harvest is a full end of the age(そして、収穫は時代の完全な終わりである)

このように、「世界の終わり」と「時代の終わり」、「時代の完成」と訳されています。

日本語の新改訳では「この世の終わり(または総仕上げ)」と訳されています。

(2)

文脈を見ると、38節は、

o de agroV estin o kosmoV
http://www.millnm.net/qanda4/matt13_38.jpg

となっています。

つまり、

"agroV"は"kosmoV"のことである

と訳せます。

ここで、agroVとは、field(畑)であり、kosmoVはworld(世界)とage(時代)という意味ですが、ほとんどがworldの意味で使用されています。
http://classic.net.bible.org/strong.php?id=68
http://classic.net.bible.org/strong.php?id=2889

つまり、

「畑」は「世界」のことである

ですから、39節のaiwnoVは、「世界」と訳すべきだと思います。

結論としては、

39節は、

「世界の完成」「世界の成就」「世界の終り」

と訳せると思います。

もちろん、kosmoVに「時代」という意味があるので、「時代の」と訳してもいいわけですが。。。

(3)

文脈から見ると、この箇所は、12章からパリサイ人との論争になります。

そして、38節から頑固で悔い改めないイスラエルに対する裁きについて預言があります。

ですから、13章の毒麦のたとえは、悔い改めないイスラエルに関する預言であることは明らかです。

14節のイザヤの預言の引用は「聞くが見ない、見るが悟らない契約の民」に対する裁きです。

ですから、「世界」とは文字通りの「全世界」とみなすべきではなく、イスラエルとみなすべきでしょう。

(4)
マタイ13章39節は、「イスラエルの中の毒麦は、イスラエル民族を契約の民とする世界(つまり旧約時代)の終焉または完成のときに抜き取られて炉に投げ込まれる」との旧約時代の終末または完成の預言と受け取るべきでしょう。

もちろん、聖書は、契約の民にとっての普遍的教訓として読むべきなので、時代に限定されずに、「麦と毒麦が時間とともに両方区別できない状態で成長する」という原則を適用することができます。

つまり、今の時代において、次第にヒューマニズムの悪魔性が明らかになり、多くの人々が悪魔に従っている状態をこの原則で説明することは間違いではありません。

しかし、あくまでも、聖書のこの記事は、「イスラエルの世界の終末または完成が近づいている」という文脈で記されたものであり、その時代特有の現象として記述された「神殿崩壊」のようなものまでも現代に「再現される」と考える必要はないのです。

聖書解釈の原則は、

時代背景を考慮し、その時代特有のものをその時代特有のものとして解釈すべき。しかし、その記事からあらゆる時代、地域の読者は、普遍的教訓を学ぶことができる。

です。

たとえば、5000年前に書かれたエジプト人による借金の催促の手紙を現代人であるわれわれに対するものだと解釈できないが、その時代背景を考慮し、その中からわれわれが学ぶべきものを探ることは間違いではないということと同じです。

(5)

ディスペンセーショナリズムが「世界終末預言」と解釈している福音書の箇所はほとんど、旧約世界の完成または終末に関するものであり、語句と文脈を厳密に検討すべきです。

聖書は、神の言葉、つまり、「両刃の剣」であるため、雰囲気とか「なんとなく」解釈することが、自分の永遠の命を失う原因となりかねません。

今日のディスペンセーショナリストたちの預言解釈は、明らかに間違いであり、多くの人々を滅びにいざなっています。

 

 

2013年7月10日



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