日本は一神教の国だった2


1.

前掲書電子版61ページによると、食物の神である豊受大神(トヨウケノオオカミ)や宇迦之御魂(ウカノミタマ)の「ウケ」「ウカ」は、ヘブライ語で食物の意味。

天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)の「ヌシ」もヘブライ語で主を意味する「ナジ」からきている。

平田篤胤の弟子、渡辺重石丸(1837〜1915年)は、アメノミナ力ヌシは『聖書』のいう神ヤハウェと同一だと唱え、平田篤胤も、天地万物に「大元高祖神」(大元霊神のこと)が存在し、その名を「天御中主神」と称すと述べた。

その神ははじめなく終わりもなく、天上にあって天地万物を生じる徳を持ち、万有を主宰していると。

十六世紀の神道家・吉田兼倶(1435〜1511年)が唱えた「吉田神道」という宗派では、神道には「古来の純枠な神道」と「仏教と習合した神道」の二種があるという。

「古来の純粋な神道は、天地の根元なる神、すなわち無始無終、常住恒存、また絶対なる唯一神に発し、それを伝えるもの」とした。

そして、豊受大神や国常立尊、天御中主神なども、その同神異名であると。(61ページ)

吉田神道は、唯一神を信じる神道であり、それゆえ「唯一神道」または「唯一宗源神道」と呼ばれた。(62ページ)

聖徳太子が学んだ神道は「宗源道」といい、それは、日本古来の唯一神教の神道であった。

『先代旧事本紀』によれば、聖徳太子は、中臣御食子(鎌足の父)から、「宗源道」と呼ばれる唯一神教の神道を学んだ。(64ページ)

「宗源道」は、「最も大切な源流の神道」の意味であり、大元霊神を拝する唯一神教の神道だった。


「一の大神を伝える。これが宗源(もとつみもと)の道である」(『先代旧事本紀』『天神本紀』)

唯一神を信じる聖徳太子は、仏教徒に対してはこう述べた。

「わが国は神の国であり、仏の本は神である。仏の跡も神である」(『先代旧事本紀』釈氏憲法第12条)

つまり、仏教は神道の支流であると。

儒教についても、同じことを述べた。

「今の儒学者がいうところの『神がいるような』という言い回しは、神がいないことを前提としている。わが国において 神を祀るということは、目に見えない神の働きによって、すべての原点である天に立ち返り、魂に立ち還ることである。

わが国には高天原より降った天神、地に生まれた祇(かみ)が、天地の初め以来鎮座している。このことは幼児でさえも知っている。今の儒学者がしきりに説いて広めることは、神の鎮座を疑わせることになるだろう。わが国においては、そのようなことを説いてはならない」(『先代旧事本紀』儒士憲法第12条)

2.

吉田神道において尊重される『先代旧事本紀』は、物部氏の著であり、「平安中期から江戸中期にかけては日本最古の歴史書として『古事記』・『日本書紀』より尊重されることもあった。しかし、江戸時代に入って偽書ではないかという疑いがかけられるようになり、多田義俊や伊勢貞丈らの研究によって偽書であることが明らかにされた」。(Wikipedia)

本当に偽書なのであろうか。

それは、物部氏の信仰を歴史から消すための工作なのではないか。

聖徳太子については、死後100年たって『先代旧事本紀』と異なる姿が日本書紀に記された。

つまり、聖徳太子の本当の姿である「唯一神教徒」が消されて、仏教徒にさせられてしまった。

吉田兼倶が述べたように、日本の古来の純枠な神道では、唯一神が信じられているが、後の時代に、仏教と習合したことによって多神教が信じられるようになった。

『先代旧事本紀』が偽書として退けられたのは、日本の本質、つまり「唯一神教の国」が知られると困る勢力がいるからでは?

ネットでの体験から、この国では、仏教徒が神の国の主要な妨害者になっているようである。

日本からキリスト教の痕跡を消そうとする謀略も、もうそろそろ終わる。

物部氏が表に出てくるときが来たからである。

それはカゴメ歌に表現されている。

籠の中の鳥(籠神社の氏子=物部氏)は、夜明けの晩(新しい時代の幕開け)に出、鶴と亀(阿と吽=アルファとオメガ=イエス・キリスト)が統べる。

後ろの正面だあれ(これまで裏に回っていた者を知れ)。

 

 

2016年4月18日



ツイート

 

 ホーム

 



robcorp@millnm.net