感謝に終わらない思い出話をする人の末路
1.
「以前所属した団体でこういうひどいことをされた」とかの話は、思い出せばきりがない。
イスラエル人はエジプトで奴隷にされ、虐待された。
聖書によれば、この苦い出来事は、出エジプトのためであり、真の解放を得るためである。
もしイスラエル人がこの苦い思い出話を延々と行い、そこから動こうとしないならば、カナン征服はできない。
重要なのは、「神が救い出してくださった!」という感謝であり、その感謝こそが新天地に乗り込むための整えられた心なのである。
感謝に終わらない思い出話は、単なる愚痴であり、サタンが喜ぶ。
数日間、長くても一週間そのような苦い思いが続くというならわかる。
何年も、何十年も続くならば、それは、その人がサタンに憑依されているか、利用されているかのいずれかである。
その思い出は、サタンの巣になっており、その人の全体を占領するための前線基地になっている。
思い出から抜け出すことができず、そこにとどまっているばかりで、神への感謝、神の国建設へのステップとならないならば、それを通じて全身に不信仰が広がり、占領される。
われわれ聖書的クリスチャンは、「過去の苦い体験は、神が利益と変えてくださるから感謝しなさい」と指導する。
しかし、頑固で傲慢な人は、「はい。でも、あの人のあの行為だけは赦せません」という。
「赦せない」という否定的な言葉で終わる。
こういう人は、いくらアドバイスしても無駄なのである。
だから、われわれは、こういう人を仲間には加えることができない。
カナンに攻め込むことができるのは、苦い思い出にとどまらず、それを神からの贈り物と思える人だけである。
2.
サタンは、否定的な言葉を喜んで利用する。
言葉には必ず霊が「乗る」。
サタンは、否定的な言葉がでるのを待ち構えている。
増幅するためである。
その否定的な気持ちを増幅させ、憎しみに変え、憎しみをなんらかの行動に変える。
最終的には、犯罪や自殺に導きたいのである。
愚痴を言うたびに、サタンの巣は広がり、全身がサタンに支配されるので、精神と健康が著しく損なわれる。
3.
われわれ聖書的クリスチャンの指導は、つねに「過去の苦しい体験は、未来の勝利のためにある。だから、いっしょに戦いましょう!」である。
この指導に逆らうことがいかに恐ろしいか。
背後に聖書の裏付けのある指導は、「神の指導」である。
その指導に逆らうことは、神に逆らうことである。
もちろん、裁きがやってくる。
訓戒を無視する者は自分のいのちをないがしろにする。(箴言15・32)
生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。(ヘブル10・31)
2016年5月31日
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