AIの時代においても問題は変わらない



ところで、人工知能が悪霊に利用(憑依)されていく可能性があるのではないかと懸念しております。

人工知能の判断が人間を上回ることがあっても どうしてそうなるのかがわからないという
ブラックボックス化がおきているというのです。

下記リンクをご高覧ください。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/273618.html

https://www.youtube.com/watch?v=fq8pRbgP_-A

http://golden-tamatama.com/blog-entry-shogi-ai.html


聖書的世界観に基づいて 人工知能についてのなんらかの評価/判断がなされるべき状況に
なってきていると考えられますが
いかがでしょうか。

いろいろと調べてみましたが、とんでもないことが起きているようですね。

学習経験量が無限に拡大するため、将来的に人間が制御できない化け物に育つ恐れがあります。

「強くなる」「賢くなる」「熟達する」という点で成長しますが、「道徳的になる」という点では未知数です。

あらかじめ人間が道徳とはなにか、について基準を設定しないと、逆に人間を滅ぼしかねない存在になります。

たとえば、AI政治家が誕生するとします。

過去の無数の政治的判断を数値化してAIに学ばせて、最適の政策を立案させる。

将棋や囲碁と同様に、スーパー政策を提案するでしょう。

しかし、そこに「国民のため」というパラメータを入れないと、すぐれた政策だが、経済効率や国家としての最善の選択が生まれるかもしれませんが、国民の福利がないがしろにされ、国民が奴隷化されるおそれがあります。

また「国民のため」というパラメータを入れて立案しても、他国との調和共存という要素が欠けると独善的になり、他国を超自然的に巧みに操作する国がうまれます。

要するに、AIに学習させる側に聖書的な道徳観、つまり、聖書律法が欠けている場合、それは恐ろしい結果を生み出す恐れがあります。

コンピュータ時代になって、昔手作業でやっていた計算などが、エクセルで容易にできるようになりましたが、従業員の給料がそれで増えたわけではありません。

効率化の恩恵はいったい誰が得ているのか、というと、資産を保有し、システムを開発し、お金を自分のところに流せる人々に集中している現状があります。

結局、技術というのは、それを利用する人々の道徳観にかかっているわけで、課題は将来的に変わらないだろうと思います。

聖霊によって生まれ変わった人々が大量に現れない限り、世界は技術の進歩とともに、かえって奴隷化が進むのではないかと思います。

 

 

2017年7月8日



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