ピーター・ワグナーの著書を通じて新しい時代の到来が確認された


イエスは「神の国が到来し、天におけるがごとく、地上においても御心がなるように」祈れと言われた。

この目的のために、神が現代の教会にお与えになった緊急の課題は、社会変革への積極的な取り組みである。

これは、クリスチャンのリーダーを、われわれの文化を形成するほどに影響力のある指導的な地位に着かせることを意味する。

かかる王国のための活動は、世界を変えることができるのである!

しかし、このように言うとしても、神裁政治が必要だと結論してはならない。

宗教や教会が政府の施策に直接的に関わった過去及び現代の実験は、大失敗に終わった。

われわれは、この轍を踏んではならない。
(Wagner, C. Peter, Dominion!: how kingdom action can change the world, 2008, Chosen Books,p.5.)

1.

ピーター・ワグナーのこの本を読んでまず感じるのは、「ついに時が来た!」ということである。

世界政府運動が失敗に終わり、その後に、クリスチャンの支配がやってくる。

私が30年前にラッシュドゥーニーと出会い「これが人々に受け入れられるには30年かかるだろう」と予測したのは、間違いではなかった。

今やあの福音派やカリスマ派に多大な影響力のあるピーター・ワグナーが、このことを言い始めた。

神は永遠の昔に、この時代が到来することを予定しておられたのである。

柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。(マタイ5・5)

最終的に、地上を支配するのは、クリスチャンである。

神の敵どもには、相続は与えられない。

クリスチャンだけが相続を受けるに値する。

地上は、クリスチャンのものである。

神は、アダムに「地を従えよ」と言われた。

アダムが失敗したので、神はキリストを送り、第2のアダムとして地上支配を彼に委ねられた。

キリストは天におられ、御霊を通じて地上を支配しておられる。

御霊は、神の御心を行うために、御民に働きかけ、志を立てさせて、ことを実行される。

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。(ピリピ2・13)

キリストは、クリスチャンを通じて、地を従えてくださる。

このような流れを逆流させることは不可能である。

なぜならば、神が始められた事業だからである。

神が「悪魔崇拝者の支配は終わりだ。これからは、私の民に地球を支配させる。」と言われたのである。

私は、今日の教職者がいかにプレ・ミレに支配され、切迫再臨を信じていようとも、心配していない。

ピーター・ワグナーと同様に、御霊によってまったく変えられるからである。

われわれは、開拓者として先に御霊の示しがあった。

これからは、多くのクリスチャンに御霊の示しがあるだろう。

御霊が働けば、個人の力は無力である。

どんなに抵抗しても、恵みを拒絶することはできない。

不可抗的恩恵である。

神は次々とクリスチャンを変えられるだろう。

神が決定されたことであるから、誰も逆らうことができない。

クリスチャンは、地上支配のために整えられるだろう。

2.

もう一つ感じたのは、ピーター・ワグナーは、中立の幻想の中にいるということである。

彼は民主主義を支配原理として採用している。

ノンクリスチャンにも平等に支配の機会を与えるべきだと。

神裁政治は間違いだと。

たしかに、特定の教会が政治を支配したり、ローマ法王のような人間が独裁的に国を支配するといった考えは間違いである。

しかし、この世界が神の創造と摂理によって成立している以上、不可避的に政治とは神裁なのである。

神が支配すべきではない中立の領域などこの世界には存在しない。

神は、「政治だけは中立でよい」というモラトリアム的な思想をもっておられない。

ダビデ自身、聖霊によって、こう言っています。『主は私の主に言われた。「わたしがあなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」』(マルコ12・36)

キリストの御支配を嫌い、逆らう人々にも政権を与えてよいなどという思想は、聖書の中にまったくない。

しかしピーター・ワグナーは、ノンクリスチャンにも施政権を与えるべきだという。

民主主義は、神裁政治/君主制に取って代わった。少なくともわれわれにとって、民主主義は二百年間以上、非常にうまく機能してきた。

これこそが、われわれが神裁政治を拒否する理由である。(同上、pp.14-15.)

アメリカの民主主義はうまく機能してきたのだろうか。ノンクリスチャンが、ポリティカル・コレクトネスを振りかざして、同性愛者の結婚、ジェンダーフリー、公教育からのキリスト教の追放、・・・を推進してきたではないか。

3.

さらに本書において、着目すべき点を上げるとすれば「富の移動」に関する主張である。

神の国の原理に従う義人たちが巨大な資産を手にすることなしには、われわれが望む社会的変革は実現できない。・・・不幸なことに、教会の多くの部分が、敬虔と貧困の間に直接的な関係があると考えている。これは、壊滅的な打撃をもたらす幻想である。社会的変革の有能な担い手となることを期待する者は、貧困の霊を追い出して、繁栄の聖霊を迎えなければならない。(同上、p.19)

不思議なことに、私は、まったく独立してこのビジョンを与えられてきた。

今後、聖書的クリスチャンが世界を支配するためには、莫大な富を蓄積する必要がある。

われわれは、ノンクリスチャンからお金をもらって仕事をする立場に甘んじてはならない。

仕事を受ける側から、仕事を依頼する側に回らなければならない。

仕事を受ける側にいる限り、自分の計画はいつまでたっても実現しない。

われわれは、神から与えられた聖なる支配の計画を実現するために、裕福にならなければならない。

自由になるお金が大量にあってこそ、はじめて、われわれは、神の御心を効果的に行うことができる。

大金があってはじめて、今の毀損された聖書ではなく、本当のテキストであるビザンチン写本に基づく聖書翻訳及び聖書配布が可能になる。

良書を翻訳したり、学校を作ったり、健全な教理書を世界に行き渡らせるためには、どうしても金銭的な祝福がなければならない。

4.

ピーター・ワグナーの「今日でも使徒がいる」という立場を受け入れることはできない。

使徒は、イエスから直接教えを受け、御業を目撃した人だけがなれた。

聖書の正典性は、それが使徒または使徒の監督下にある人々によって記されたかどうかに依存している。

なぜならば、イエスは使徒たちを直々に「証人」と任命されたからである。

それゆえ、彼らの証言は真実であると考えることができ、それによってのみ、われわれは教理的誤謬から解放される。

今日でも使徒がいるとなると、新しい正典が生まれる恐れがある。

5.

いくつかの問題はあるが、ピーター・ワグナーの著書は、私に「新しい時代の到来」を確信させてくれた。

いよいよ全世界に「真のリバイバル」が起きるだろう。

イエズス会の教えであるディスペンセーショナリズムによって汚染されたリバイバルではなく、聖書に純粋に由来する真のリバイバルが世界を席巻するだろう。

そのために、神がわれわれを祝福してくださるように祈ろう。

 

 

2018年1月30日



ツイート

 

 ホーム

 



robcorp@millnm.net