むしろ神の奴隷であることを望む


「神の奴隷」という言い方をするなというメールがあったが、どうしてだか不明。

聖書の言葉は、日常会話における言い回しの模範である。

なぜならば、聖書は基準だから。

神が「クリスチャンは神の奴隷である」と聖書において言われたのであれば、われわれはその言い方をまねるべきだ。

ルター訳の聖書は、ドイツ語の基準となった。

キング・ジェームズ訳は、英語の基準となった。

聖書は国語を作り替える。

今のような、キリスト教が国民に対して影響力の弱い時代にはともかく、昔のようにクリスチャンが多い国では、毎日読み、毎週礼拝で使用される言葉が、国民に与える影響は大きい。

しかも、クリスチャンは神を基準として敬っている。聖霊が用いられた言い回しをどうして模範としないだろうか。

私は、聖書が奴隷という言い回しを肯定的に使用しているならば、それを日常生活においても積極的に用いるべきであると考える。

私は神の奴隷になりたい。

なぜか。

それが最も効果的で、効率的で、有意義な生き方だから。

神に逆らい、罪を楽しみとし、はかない快楽にふけるよりは、神の戒めを完全に守れるようになれるほうを喜んで選択する。

自分の人生は、つまらない誇りや快楽や恐怖によって無駄になった部分が大きい。

ラッシュドゥーニーやゲイリー・ノースのように何十冊もの本を著すような人間になりたかった。

優れた人格になり、大きな影響力を発揮する人間になりたかった。

中学時代にロックに触れ、毎日ものすごい時間をロックギターの練習に割いた。

20歳のときに寮祭でステージ演奏したテープを聞いた人が「この年齢でこれだけ弾けるとはすごい」と言ったくらい上達した。

アリスター・クロウリーの影響をもろに受けて育った。

人は、13歳くらいのときに聞いた音楽に一生嗜好を支配されるらしいが、私の音楽の嗜好はその時代のロックに支配されている。

ラッシュドゥーニーやゲイリー・ノースの時代にはなかったニューロックに強く影響された。

クリームやレッド・ツェッペリンのようなバンドの直撃を受けた。

ビートルズのニューエイジ思想に強く感化された。

たしかに、環境に責任転嫁するのは卑怯だ。

しかし、あまりにもひどすぎた。

高校3年のときに、札幌の繁華街にある狸小路を歩いているときに、ある新興宗教の伝道師に会った。

ビラを配って「伝道」していた。

もろにニューエイジのセックス・カルトだった。

当時、神は私をクリスチャンにしようとしておられたので、悪霊が働いたのだと思う。

大学受験に失敗した後「あの伝道師のところに言って一緒に伝道活動をしよう」と思い、彼の家に行く途中でバスを待つために入ったパチンコ屋で居眠りをしている間に財布を紛失した。

バッグのどこを探しても見つからなかった。仕方なく、家に帰った。

不思議なことに帰宅してから財布は見つかった。これも神の導きだろう。

彼のところに行っていたら、おそらく自分もフリーセックスの伝道師になっていたことだろう。

私の父母はまじめな人だったから、髪を伸ばし、ヒッピー然とした私を見た親戚は「なんであの親からこんな子が育ったのか」と不思議がっていた。

いろいろ無駄なことをさんざんやってきた。このような回り道をせずに、神の奴隷としてまっすぐに歩むことができればどんなによかったことかと思う。

しかし、神の恵みによりすべては益に変えられると信じて感謝する。

 

 

2018年3月5日



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