日本にはマナの壺が伝えられてきたのでは?


「神宮」という称号を持つ神社は「伊勢神宮」であるが、「延喜式」には他にも2つだけ「神宮」と呼ばれる神社がある。

それは、「香取神宮」と「鹿島神宮」である。

このうち香取神宮には、門外不出の神器がある。

それは、マナの壺だ。

その数12個。

香取神宮の秘祭で使用する。

興味深いことに、その壺には、古代文字で「ヤー」と記されているという。

もちろん「ヤー」とは、ヘブライ語で絶対神を表す御名である。

契約の箱に入れたアロンの杖には、レプリカがあった。


「イスラエル人に告げて、彼らから、杖を、父の家ごとに一本ずつ、彼らの父祖の家のすべての族長から十二本の杖を、取れ。その杖におのおのの名を書きしるさなければならない。
レビの杖にはアロンの名を書かなければならない。彼らの父祖の家のかしらにそれぞれ一本の杖とするから。(民数記17・2-3)

各部族ごとに杖があった。

同じように、契約の箱に入れたマナの壺は12個あったのかもしれない。

天皇家には、代々、絶対に開けることを許されていない黄金の壺が伝えられている。

第21代雄略天皇のときに、その壺が開けられたとの記録が『日本書紀通釈』にある。

天下に朕が開き見られざるものなしと宣(のたま)いて、この黄金のつるべ、すなわち甕(かめ)の口を開かせ給いたるに、中より白い煙が出でたるより、畏みてこれをもとのごとく密閉しめたり」

まるで浦島太郎である。(飛鳥昭雄・三神たける著『失われたイエス・キリスト「天照大神の謎」』pp184-185)

日本にはマナの壺が伝えられてきたのではないだろうか。

 

 

2013年5月20日



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