ガンジーはイルミナティのエージェントだった
ヘンリー・メイコウのサイトhenrymakow.comの、ティモシー・ワトソン博士によると、マハトマ・ガンジーはイルミナティのエージェントであり、暗殺理由はインド人を裏切ったことであった。
http://henrymakow.com/ghandis_role_in_the_illuminati.html
以下要約する。
次の写真は、ロンドンに留学していたガンジー。この頃、ブラヴァツキー夫人が興した神秘思想結社である神智学協会のメンバーであった。
http://www.henrymakow.com/upload_images/gandhi.jpeg
ブラヴァツキーはイルミナティであり、国連の出版社ルシス・トラストと深い関係にある。
ブラヴァツキーの後継者アリス・ベイリーはニューヨークに、ルシファー・トラスト出版社を設立。その後、ルシス・トラスト社に社名変更したが、ルシスLucisはルシファーのラテン語読み。
ガンジーは、この結社においてMI6からリクルートされ、エージェントになった。
(もちろん、MI6やCIAなど諜報機関は、世界政府を作るために働くイルミナティの組織である。)
ガンジーの目的は、「インドを分裂させ、将来の戦いの準備をすることにあった」。
イルミナティの常套手段は、分裂→戦争またはテロ→大量虐殺→戦争を防止する名目での世界政府建設である。
イルミナティは、韓国、ベトナム、イラク、クウェートにおいてこのような、分裂→征服の手法を用いた。
イルミナティは、オルド・アブ・カオ(カオスから秩序へ)のモットーに基づいて無慈悲な政策を取り続けた。
世界政府の機関である円卓会議を作ったのは、イルミナティのエージェントであったセシル・ローズである。
ガンジーが1931年に円卓会議に出席した際に、ラムゼイ・マクドナルド首相は、彼に「インド分割共同賞」を授与した。
円卓会議の席上で、ガンジーは「共産社会主義」を推奨するスピーチを行った。
「共産社会主義」とは、「地方自治主義」の名のもとに社会主義的な専制体制を築き上げるというイルミナティの目標を隠すための専門用語である。
1890年代に、ガンジーがロンドンで留学生活を送っていたころ、彼の日記から20ページほどが奇妙にも削除されている。
残存しているページには、ガンジーのフリーメイソン3階級へのイニシエーションについて、フリーメイソンの学者だけが気づく隠語で記されている。
もし失われた20ページがそろうならば、もともと120ページあったガンジーの日記は、フリーメイソンの階級を昇るイニシエーションの記録となったはずだ。
http://henrymakow.com/ghandis_role_in_the_illuminati.html#sthash.2Q3PpYPn.dpuf
ガンジーは英軍の上級曹長となった。その救急部隊は、南アフリカでの「カフィール」騒乱の鎮圧にあたった英軍に参加した。ボーア戦争や第一次世界大戦、第二次世界大戦にも英軍将校として参加した。
ガンジーを暗殺したナサラム・ゴッヅェの証言は当局によって発表を厳しく禁止された。
ゴッヅェの裁判における陳述は、法廷内の人々の間に深い感動を呼び起こし、嗚咽を誘った。
ゴッヅェの証言によると、ガンジーは、『ムスリム同盟』の指導者を含む有名なテロリストと定期的に連絡を取り合っていた。
ムスリム同盟は、とくにカルカッタにおいて無実の市民を大量に虐殺したテロ組織であった。
さらに証言では、ムスリムのカリフ制を樹立するためにインドへの侵略の陣頭指揮を執っていた『アフガニスタンのアミール』ともガンジーが共謀していた事実も明らかになった。
つまり、ガンジーは、外患誘致を行っていたのだ。
『アラハバード』紙の編集者シャストリ、C・Y・シンタマニ、及び、ガンジーの友人C・F・アンドリューズも「ガンジーは、発言や著作を通じて、『アフガニスタンのアミール』によるインド侵略を公然と招いていた」と述べた。
ゴッヅェの証言が公になれば、ガンジーの真の姿が知れ渡ることになっただろう。
2014年5月16日
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