生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです3
われわれが神道に対する見方とは、「博物館で展示物を見る」ような感覚である。
その展示物を祭壇の上において拝むような感覚ではない。
われわれにとって神道とは「昔キリスト教だったのだろう」ということである。
「今もキリスト教なのだから初詣に行こう」とは考えない。
「日本はキリスト教国である」とこちらが言ったとしても、それは「日本はキリストを礼拝する国だ」という意味ではない。
「アメリカはキリスト教国である」ということが、「アメリカはキリストを礼拝する国だ」という意味ではないのと同じである。
「もともと日本に住み、文化に対して影響力のある人々の中に、クリスチャンがいた」という意味でしかこちらは「日本はキリスト教国である」というフレーズを使っていない。
それを「天照大神を拝むことは、太陽神を拝むことだ」などという批判をされても、「誰のことですか?」と尋ねたい。
博物館で昔の祭具を観察するのと、それを祭壇に据えて拝むのとはまったく違う。
どうか厳密な区別をしてほしい。
2015年5月17日
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