徐福は秦の始皇帝に派遣されて日本にやってきた。
始皇帝の統治形態は、ペルシャのそれと酷似しているので、おそらく、ペルシャ人であろう。
始皇帝が体系化した漢字には、聖書の思想が含まれているので、おそらく、離散ユダヤ人なのだろう。
徐福と始皇帝は同族だったので、徐福もユダヤ人ということになる。一説によると、ヨセフとも言われる。
その証拠に、徐福を祖とする物部氏の神社は、キリスト教的である。
徐福は、離散ユダヤ人であった。
パレスチナのユダヤ人と、離散ユダヤ人の共通の目標は、ダビデ・ソロモンが築いた栄光のイスラエルの再興であった。
よく「失われた十部族」と言われるが、世界中に散っていたイスラエル12部族は互いに連絡を取り合っていた。
神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、国外に散っている十二の部族へあいさつを送ります。(ヤコブ1・1)
ヤコブは、これらの12部族に手紙を送ったわけだから、パレスチナのユダヤ人と離散ユダヤ人の間に連絡網があったと推測できる。
(ちなみに、「国外に散っている十二の部族」とあるので、離散していたのは10部族だけではなく、それにはユダ族とベニヤミン族も含まれていたことがわかる。)
それゆえ、使徒たちは、日本に徐福が作ったユダヤ王国があることを知っていたのだろう。
聖書が特別に「東方の博士」について触れているのは、東に離散ユダヤ人がいたことを暗示する。
その博士たちが、はるばる御子を礼拝するためにやってきたのは、東にいた離散ユダヤ人の間に「来たるべきメシア」への待望があったことを示している。
さて、異邦人の「メシア待望」とユダヤ人のそれとは異なっている。
どのような点で異なっていたのか。
イスラエルの再興である。
ユダヤ人にとってメシアとは単なる罪からの救い主だけではなく、「栄光のイスラエルを再興する王」であった。
だから、イエスをメシアと信じていた使徒たちは、使徒行伝1章において「今こそイスラエルを再興してくださるのですか」と尋ねたのである。
このような希望を徐福率いるユダヤ人たちも抱いていたであろう。
それゆえ、われわれは、徐福が作ったユダヤ王国(物部王国)が、再興されたイスラエルと無関係であったと考えるべきではない。
たしかに、別の離散ユダヤ人の王国もあった。すなわち中央アジアにあった「弓月国」である。
しかし、弓月王と秦氏の集団は、国を去ってはるばる日本にやってきた。
つまり、弓月国は彼らにとって最終目標ではなかった。
日本こそ彼らの最終目標であった。
彼らは日本を「再興されたイスラエル」と考えていたのである。
だから、「伊勢神宮に十字架と契約の箱がある」との説に信憑性があるのだ。
おそらく、これらの聖遺物は、紀元3世紀に来日した秦氏によってではなく、紀元2世紀に来日したエルサレム教団の人々によって運び入れられたのであろう。
ティトスによる包囲攻撃と神殿破壊の際に毀損または紛失される恐れがあったから、エルサレムのクリスチャンたちはそれらを密かに確保し、持ち出したのであろう。
彼らが、これらの聖遺物を運び込んだのは、日本がイエス・キリストを王とする再興されたイスラエルと認識されていたからである。
徐福一族の物部王国は、再興されたイスラエルを準備するために作られた離散ユダヤ人の王国であり、新約のクリスチャンたちがそれに合流したときに完成したのである。