ポスト・ミレになって力を獲得していただきたい
1.
プレ・ミレを信じたことによってキリスト教が失ったものは絶大である。
陰謀論を扱うある牧師が、2009年の講義において、アメリカに行って建設中の強制収容所を見た体験談を語っていた。
「これはイルミナティが人々を収容してガス室で処分する施設だ」と。
そして、「これからアメリカにはものすごいことが起こります」と。
「よその国に行って何百万人も殺したのだから裁きを受けるはずだ」と。
その後に「こういう時代になることを黙示録は預言しています」と。
ここで聖書を出してきた時点で、この牧師はすべての努力を否定している。
完全な悲観論者になっている。
アメリカ人に向かって「あきらめろ。お前たちの運命はこうだ。いくら悔い改めても無駄だ」と言っている。
なぜならば、この牧師は同時に「聖書は神の言葉である」と信じているから。
聖書の悪用以外の何物でもない。
聖書というのは、悔い改めて救われる道を示すものである。
人々に希望を与えるものである。
そして、クリスチャンは「世の光」である。灯台になるべきである。
灯台とは、船が事故に遭わないように、現在位置を示すためのものである。
それが世界に向かって「これから絶望の時代に向かってまっしぐらだ」と言う。
どこに希望があるのか。
大虐殺が行われ、人々が強制収容所に入れられて、ガス室で処分されるのだろう。
それを回避することはできないのだろう。
こんな不吉なことを宣言して、何が世の光だ。
「いや、再臨が希望だ」と?
たとえ再臨があっても、その前に大患難時代があるから、今後反キリストが全世界を支配して、無数の人々を大虐殺することは避けられないわけでしょう?
これが希望ですか?(*)
黙示録は手紙である。
それは、紀元1世紀の人々に向けて書いたもの。
そこに「これらのことはすぐに起きる」と書いてあるのだから、黙示録を現代の預言として読むことに正当性はどこにもない。
こういう読み方を唱えてきた人物を見てください。
サイラス・I・スコフィールド、ジョン・ダービー、ハル・リンゼイ、ティム・ラヘイ、みんなイルミナティだから。
教会は完全にイルミナティ・シオニストたちに騙されて、運命論者、悲観論者になり、世の光ではなくなった。
2.
「これから強制収容所で大虐殺が行われます」と言う言葉を信じて社会生活ができるわけがない。
子供の教育ができるわけがない。
事業を始めて拡大できるわけがない。
もしできたら、多重人格者である。
人間の行動の基盤は、思想である。
どういう思想を持っているかで行動は決まる。
プレ・ミレを信じていれば、それに沿った行動になる。
だから、他方で近未来の破滅を信じながら、同時に事業計画など立てられない。
事業を発展させて、地上に神の国を広げようなどと考えるわけがない。
事実、私の主張を読んだこのプレ・ミレの牧師は「この地上において神の国を広げるなどできるわけがない」と言った。
彼は明確に「地を従えよ」との命令に違反した。
御言葉を無視した。
プレ・ミレを信じて同時に、文化命令を成就することは不可能なのである。
どちらかを取って、どちらかを捨てる以外にはない。
聖書の全体的な主張は、「キリストは世に勝利した勝利者であり、天地の支配者である。キリストにつくクリスチャンも支配者であるから、地を従えることは可能だ」である。
われわれが祈って努力すれば、地上は変わるのである。
プレ・ミレを信じつつ、努力はできない。
プレ・ミレを捨てるべきだ。
そして、ポスト・ミレを採用すべきだ。
それしか道はない。
3.
地を従えよとの命令がある以上、われわれの使命は「力の獲得」である。
紀元70年以降、この世界は、キリストの王国なので、御言葉を実行する人々に力が与えられるように運命づけられている。
力とは支配である。
御言葉を信じて、神の御心を行う善良な人々が世界を支配しなければならない。
だから、クリスチャンは、政治的、経済的、文化的、様々な面において力を呼び寄せるべきである。
そのために祈るべきである。
伝道とは、こういった「支配を目指す人々を増やす」ために行われる。
「すべての国民を弟子とし、わたしが命じたすべてのことを守るように教えなさい」と言われたイエスの命令を真剣に求める人々を増やすために行われる。
しかし、プレ・ミレの伝道とはUFO乗組員を養成するために行われている。
空にプカプカ浮いているだけで、地上に働きかけない傍観者を育てている。
だから、プレ・ミレの教会に献金することは無駄である。
プレ・ミレの教会で奉仕することは、一度しかない自分の貴重な人生の尊い時間の浪費である。
4.
ポスト・ミレに立たない限り、あなたのクリスチャン人生は無駄になる。
われわれは、全世界を弟子化しなければならない。
「再臨を待て」と言うのではなく、「地を従えよ」と伝えるべきだ。
プレ・ミレを採用し、それを伝えることによって、どれだけの宝を失っているか。
今の世界においてクリスチャンの力が減退している理由は、教理的誤謬である。
どうか、ポスト・ミレになって、力を獲得していただきたい。
ポスト・ミレになって、自分のもとに力とお金と権力が集まるように力を合わせて祈るならばそのとおりになるのだ。
神はそのことを望んでおられる。
しかし、プレ・ミレにとどまる限り、祈りは聞かれない。
力を無駄に使うから。
(*)
それならば、黙示録の直接の読者に向けて「終わりが近い」と述べたヨハネも同じような悲観論者ということになるではないか、という人がいるかもしれない。
あの黙示録とは、無数の悔い改めのメッセージを無視し、預言者を殺し、最後に御子まで殺した紀元1世紀のイスラエルに対する裁きである。
最後通告である。
この特殊な状況を無視して、今のこの「まだ福音を聞いたことのない人々が無数にいる」世界に破滅を宣言することはできない。
御言葉が十分に啓示され、神の支配と守りのもと、2000年の間、悔い改めのチャンスを拒んだイスラエルと、一度も福音を聞いたことのない人々のたくさんいる世界とは同一視できない。
2015年11月14日
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