裏のないすがすがしい人とだけ付き合うようにしたいものだ
どの人にも、その人の後ろには扉が開いている。
不吉な人がいる。
付き合うと、その人の扉を通じて変な世界に引き込まれるような。
そういう人とはすぐに別れたほうがいい。
明るい、裏がない人と付き合ったほうがいい。
このミレニアムの働きを通じて出会った方々はみな素晴らしい人々であった。先日札幌でお会いしたクリスチャンの方々はみな素晴らしい方々であった。すがすがしい出会いであった。
しかし、それ以外では、クリスチャンにしても、ノンクリスチャンにしても、その後ろの扉は変な世界につながっている場合があった。
「神様のため」とか言っても、何か「腹の中では別のものを求めているのではないか」と疑わせるような牧師もいた。
教勢とかにこだわると、権謀術数をめぐらす世界になる。
教会が一種の商売になる。
教会は教えだけこだわればいいのだ。
神の国を求めるならば、自分の教会から人が抜けて、その人が別の教会に行っても不満はないはず。ただし、その教会が異端であれば問題だが。
結婚のために他の教会に移ることを嫌う牧師がいる。
祝福して送りだせばいいではないか。
「与える者は幸い」なのだ。
惜しみなく与えるならば、人が自分のポケットに無理やり利益を押し付けてくるとイエスは言われた。
働き人がいなくなって他の教会で活躍するならば、自分の教会にはさらに恵みがある。
そういう霊的な原理がわかっていないから、信徒を失うことを恐れるのだ。
自分が与える側に回ることを恐れる人は、その恐れを通じて、祝福を奪われている。
ある人は、献金をすることが失うことであると考えて惜しんでいたが、思い切ってしてみると、長年不妊で苦しんでいた子供を授かった。
神の国のために自分を犠牲にすれば、祝福はどんどん積み上がるのである。
いくら金持ちでも祝福がなければ、無意味だ。
神の呪いのもとにいる金持ちは、そのお金のために不幸になる。
こういう人々、つまり、神の国のために純粋に御言葉に従うことができない人々は、不吉である。
その後ろにある扉は地獄に通じている。
そこから入ると、気持ち悪い、薄気味悪い世界が広がる。
経済的な問題に巻き込むような人がいる。
意図的にやっているのではない。
その人と付き合うと、そういう世界が広がるのだ。
経済的に困るような状態に引きずりこまれる。
そういった人は必ず、何かにこだわりがある。
まっすぐに御言葉を実践していない。
さんざん奉仕活動をして、後で振り返ると利用されていただけなのか、と思わされる教会がある。
エゴイストのクリスチャンなどありえないはずだ。
しかしそういったケースは無数にある。
裏のないすがすがしい人とだけ付き合うようにしたいものだ。
2012年9月6日
ホーム