人間教の枠内に留まる限り問題は解決しない
1.
法曹界の左翼汚染がひどい。
実質サタニズムのフロントである左翼は、秩序の崩壊を不可避的にもたらす。
マルクス主義は、歴史の中でキリスト教によって発展してきた社会構造を徹底的に破壊するためにサタンによって送り込まれた。
これまで保守が知識人を左翼に奪われてきたのは、保守が「昔はよかった」という感傷的な「懐古趣味」の閾を出なかったからである。単なる「復古主義」に留まってきたからである。
なぜ復古主義の領域を出ないかというと、カント、ヘーゲル、マルクスによる思想大革命を批判できなかったからである。
これら3人は、それまで世界を支えてきた「自然法に基づく社会構造」を根底から破壊した。
カントが登場するまで、ヨーロッパ社会は、「超越法」を認めていた。
つまり人々は「人間を超える普遍的な法がある」という前提で生活していた。
これがギリシア思想由来の自然法である。
ヨーロッパはカントまで自然法に支配されていた。
人々は「人間を超える普遍的な超越的な法律がある」との前提で生活し、それを権威として扱っていた。
しかし、カントが現れて「現象界のことは科学で知り得るが、叡智界のことは、人間にとって不可知である。いくら科学が発達しても、データを集められない死後の世界について知ることはできない」と述べた。
そして「叡智界に関して無知なままでは、生活が成り立たないので、人間が主体的に決定し、作りだそう」と呼びかけた。
つまり、人間が「超越者」になり、「法」を決定できると。
ピューリタンの市民革命時代の民主主義と、カント以降の民主主義は違う。
ピューリタンの時代のそれは、「超越者である神の法の権威を認めた上で多数派の意見を尊重する」ものであったが、カント以降のそれは「人間が超越者であり、人間が多数決で決めたことは、他のいかなる超越法の規定よりも優先されるべきだ」と唱える。
たとえば、住民が賛成すれば同性愛者の結婚も許されるのである。住民が至高者なので、聖書の規定を超越できると考えている。
つまり、今の世界では、たとえ保守の人々であっても「神の首を切ることに賛成している」のである。
保守の人々でも「世界において至高者は人間である」と考えるカント主義者なのである。
だから、左翼に有能な若者を奪われるのである。
なぜならば、カント主義の立場から言えば、左翼のほうが首尾一貫しているからである。
日本の保守主義者が弱いのは、近代思想家たちが築き上げた「思考体系」を無視して「もっぱら生活感覚や感情で勝負しようとしているから」である。
「You can't beat anyone with nothing(対案がなければ、誰にも勝てない)」のである。
頭のよい若者は、見抜いている。
「保守派には対案がない」と。
2.
流れを見てみよう。
カント→叡智界に関して確実な知識を得ることは不可能。だから人間が作った法が最高の法となる。人間を超える絶対者は存在するかもしれないが、人間にとって意味がなければ無視しよう。
ヘーゲル→絶対不変の超越法は存在しない。社会も国家も歴史も、すべては精神が現実の中に自己を具現した結果であり、それぞれが弁証論的発展の過程にある。
マルクス→世界は神の国ではなく、人間の国であり、人間が、弁証論的な階級対立の中で発展的に作り上げていくものである。この発展のためであれば、暴力革命も必要である。
今の発展した自由世界は、キリスト教の神の国運動の果実であり、それを悪魔が「人間教」によって破壊しつつある。
神の山 対 バベルの塔
あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。(創世記3・4−5)
2018年6月3日
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