神道の中心的な儀式はキリスト教の儀式である


天皇家の多くの儀式は、物部氏によって定められた。


このあたりの事情は、物部氏の伝承『先代旧事本紀』にも如実に表われている。
それによると、神武天皇即位に際し、ニギハヤヒの子ウマシマチは、ニギハヤヒから伝わる神宝を献上し、神楯を立てて祝い、さらに、新木なども立て、”大神”を宮中に崇め祀ったとある。そして、即位、賀正、建都、践祚などといった宮中の重要な儀式は、このときに定まった、というのである。
ここで注目されるのは、神道と切っても切れない関係にあった天皇家の多くの儀式が、ウマシマチを中心に定められたということである。
(関裕二『消された王権・物部氏の謎』(PHP、Kindle版)No.1091-1092)

この書によると、吉野裕子氏は次のように述べた。

物部氏の祭祀そのものが天皇家によって踏襲されたことも考えられる。この場合も、祖神の蛇の呪力を担うものとしての物部氏に対する記憶は、そのまま祭祀における物部氏の重用につながるのである(吉野裕子『大嘗祭』(弘文堂))

関氏によると、天皇家最大の儀式である大嘗祭も伊勢神宮の遷宮も、原理はほとんど同一であり、物部氏の祖神であるニギハヤヒ(大物主神)を祀る儀式であるという。

いずれにおいても、祭りの前半部分で、酒造童女または大物忌という名の童女が先導役を務めるが、この童女実は物部氏である。

遷宮祭の中心に位置する心御柱は、大物忌だけが祀ることができる。

大物忌は、心御柱に食事を供し、ともに食す。周りには天平瓮(あめのひらか)が八十枚積まれている。

大嘗祭では、「天皇が神殿の中央に設けられた神の寝台に向かい新穀を供進し、しかも神に奉じた新穀をみずからも食すことで、神を祀りみずからも神聖な存在になる」。

この寝台は八重畳に覆われている。

遷宮も大嘗祭も、(1)食事、(2)八という数字が出てくる。

これは、神武天皇の神話に起源がある。神武天皇は、霊夢を見、「天香具山の土をとって“天平瓮”八十枚と厳瓮をつくって天神地祇を敬い祀れば、賊はみずから平伏しよう」とのお告げを得た。

「厳瓮で神に供した神饌を”みずからも食し”たのち、兵を出すと、賊はおもしろいように破ることができたという。そして天皇はこのとき、神の加護を受けることで、絶対に負けることのない身になったことを確信したというのである。」(前掲書)

神武天皇と同一人物とされる崇神天皇についても同じような話がある。

国の定まらぬのを憂いて占ったところ、大物主神が夢に現われて神託を受け、伊迦賀色許男命に八十毘羅訶(やそびらか=八十枚の天平瓮)を作らせる。

「即ち意富多多泥古命(おほたたねこのみこと)を以ちて神主と為て、御諸山に意富美和(おほみわ)の大神の前を拝き祭りたまひき。又伊迦賀色許男命(いかがしこおのみこと)に仰せて、天の八十毘羅訶(やそびらか)を作り、天神地祇(あまつかみくにつかみ)の社を定め奉りたまひき」

ここで、天皇に神託を与えた神は大物主神であり、伊迦賀色許男命は物部氏である。

つまり、天皇家の中心儀式である大嘗祭も遷宮も、その中核には物部氏がおり、その祀る神は物部氏の神であった。

ということは、天皇家の神とは、物部氏の神なのである。

そして、この物部氏の神の祭りでは、(1)食事と(2)数字の「八」が特徴である。

考えていただきたい。

「ともに食事をすることによって、みずからも神聖な存在になり、力を得る」。

「八という数字」。

読者が、クリスチャンならおわかりだろう。

聖餐式において、クリスチャンはキリストと同じパンと葡萄酒を食し、一体であることを確認する。

八は復活を象徴する数字。

律法において、神の民は、七年目に負債は帳消しになり、八年目に復活する。

しかも「八十=八重」は「やそ」つまり「イエス」。

物部氏の神はイエス・キリストなのである。

物部氏にして神道の総元締め八咫烏によると、伊勢神宮の心御柱はT字型の十字架。

つまり、心御柱はイエス・キリストの象徴である。

大物忌が心御柱に食事を供し、ともに食すのは、イエス・キリストとの聖餐を意味する。

周りに積まれた天平瓮八十枚は、イエス・キリストの復活を象徴する。

大嘗祭において、天皇は寝台に新穀を供し、神とともに食する。つまり、天皇はイエス・キリストの聖餐に与る。

天皇は寝台に死に装束である麁服を着て横たわり、起き上がる。つまり、イエス・キリストとともに復活する。

神道の中心的な儀式は、キリスト教の儀式なのである。

 

 

2018年12月16日



ツイート

 

 ホーム

 



robcorp@millnm.net