カナン征服記はポスト・ミレを示している


イスラエルの歴史は、全契約民の歴史のひな形である。

奴隷状態にあったのが、モーセに率いられて紅海を渡り、カナンを征服する。

これは、われわれクリスチャンの人生の過程である。

罪の奴隷であったノンクリスチャンの状態から、イエスの贖い(紅海=赤い血を象徴)によって救われ、世界を征服する。

ア・ミレ(無千年王国説)の場合、カナン征服がない。

クリスチャンは世界を征服できないとする。

プレ・ミレ(前千年王国説)の場合、世界征服はできるが、その前にイエスの再臨という「プラスアルファ」があるという。

実質、「イスラエルだけではカナン征服できなかった」と主張することになる。

しかし、モーセ五書のカナン征服記では、そのようなプラスアルファはない。

征服を命じられたのは、イスラエルの民であり、イスラエルの民だけで征服した。

天からの救世主の来臨はなかった。

すなわち、モーセ五書におけるイスラエルの出エジプト及びカナン征服の記述は、ポスト・ミレを示している。

われわれクリスチャンは、かつて奴隷の地エジプトにいた。

罪と滅亡の奴隷であった。

イエスの贖罪という紅海をくぐって、そこから解放された。

荒野で訓練され、ついにカナンの征服に着手する。

カナン征服の法的根拠は、アブラハム契約である。

神がアブラハムにカナンの地を与えると約束されたその約束こそが征服の法的根拠である。


わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。(創世記17・8)

イスラエルには、カナンを征服する法的根拠があった。

同じように、クリスチャンには、世界を征服する法的根拠がある。

イエスが、世界を征服したと宣言されたからだ。

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。(ヨハネ16・33)

ここで「世に勝った」と訳されているが、「勝つ」という単語の原語ネニケーカは、ニカオー(征服する)の完了形。

完了形は、過去の事実が現代にも有効であることを強調するので、「すでに征服し、今も征服している」という意味である。

つまり、世界の王は現在、イエス・キリストである。

イエス・キリストが世界をすでに法的に征服したので、その体である教会(エクレシア)も、世界を法的に征服した。

この法的基盤においてイエスは弟子たちに「行ってすべての国民を弟子とせよ」と命令された。

だから、われわれクリスチャンは、世界を御言葉と教育によって征服できる。

モーセ五書のイスラエルのカナン征服の記事は、クリスチャンのポスト・ミレ的世界征服を指し示している。

追記:

クリスチャンは、アブラハムの子孫である。

どうか、この基準に従って進む人々、すなわち神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように。(ガラテヤ6・16)

「この基準に従って進む人々」とは、前節から明らかなように、「割礼ではなく新しく創造されることを重視する人々」であり、民族的イスラエルではなく、霊的イスラエルを意味する。

 

 

2014年6月1日



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