I.
三鷹福音教会のラルフ・スミス牧師も署名している2007年に発表された『フェデラル・ヴィジョン合同宣言』(Joint Federal Vision Profession)には次のように述べられている。
「We deny that faith is ever alone, even at the moment of the effectual call.(われわれは、信仰が常に―それが有効召命の際であっても―単独で存在するわけではないと主張する。)」
聖書における「救いの手順」とは、(1)神が永遠の昔に一方的に人を選び、(2)時至ってその人を召し、(3)信仰を与え、(4)救い給うという順番である。
(2)を有効召命という。
有効召命というのは、救いへの有効な召し、あるいは、救いへの効果的な召しという意味で、罪人がみ言葉とみたまにより、キリストによる救いに、有効に、効果的に召されること
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1.
まず、有効召命の際には、人の側ではまだ信仰はない。
信仰が存在するのは、福音を聞いて信じた後である。
救いの働きは、われわれが福音を聞く前にすでに開始されている。
まず永遠の昔において決定した選びに基づいて「召命」が起こる。
召命があってはじめて福音が説かれる。
福音が説かれるときに、神は人の心を開かれて救いを受け入れさせ給う。
2.
さらに、フェデラル・ヴィジョンは、「信仰のみ」ではだめで「行い」を必要とすると述べる。
なぜならば、「信仰が常に単独で存在するわけではない」というので。
しかも「有効召命の際であっても」というのであるから、「最初から『信仰のみ』ではだめで『行い』が必要だ」と述べている。
つまり、フェデラル・ヴィジョンは、「行為義認」の原則が救いの最初の段階から適用されると唱える。
II.
さらに『宣言』では、水のバプテスマによって人は救われると説く。
“All who are baptized into the triune Name are united with Christ in His covenantal life, and so those who fall from that position of grace are indeed falling from grace.”
(三位一体の御名の中にバプテスマされる(漬けられる)人はみな、キリストと一体化し、キリストの契約的命に入る。さらに、その恵みの位置から落ちる者は、実際に恵みから落ちつつある。)
“The connection that an apostate had to Christ was not merely external.”
(ある背教者がキリストとの間に持つ関係は、外面的なつながりだけではない。)
つまり、「バプテスマを受ければキリストと一体化し、キリストの命の中に入り、バプテスマの恵みから落ちる者は、実際に内面的(霊的)恵みから落ちる」と。
これは、「行為義認」の教えである。
人は、礼典によって救われるのではない。
「心に信じて義と認められる」のである。
人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。
神が唯一ならばそうです。この神は、割礼のある者を信仰によって義と認めてくださるとともに、割礼のない者をも、信仰によって義と認めてくださるのです。(ローマ3・28, 30)
「救われるには、信仰だけでよい!」と聖書は繰り返し主張している。
行為によって救われるならば、行為によって救いを失うこともあるということになる。
たとえば「〇〇さんは××という行為を行ったので、信仰があっても滅びる」ということもありえると。
違う。
われわれの救いの根拠は、「人間の行為」ではなく「キリストの行為」である。
キリストが契約を完全に遵守されたので、われわれは信仰を通じてその功徳にあずかるのである。
だから、われわれが何をしても救いから漏れることはない。
たとえば、われわれの「天国行きの免許」とは、日本国のパスポートのようなものである。
われわれが何をしようとも国籍を奪われることはない。(犯罪を犯して公民権を奪われることはあるが。)
そのため国交を結んでいる国なら世界中どこでも「日本人であるという理由だけで」旅行できる。
キリストを信じる人は「神の国の国民」であり、その国籍を有しているだけで、天国に行ける。
キリストが神の法を完全に守られ、天国行きの権利を得られたので、信じる人ならば誰でもそのパスポートを受け取れる。
何かの学歴がなければならないとか、何かの資格がなければならないというわけではない。
善行は、あくまでも信仰の果実である。
信仰によって聖霊が与えられた人は、その聖霊が内住しておられるがゆえに、「自然に」善を行う。
聖書契約に対する忠実さは、救いの条件ではなく、救いの果実である。
III.
フェデラル・ヴィジョンは、行為義認を教える異端である。
それゆえ、フェデラル・ヴィジョンの共同宣言に署名したラルフ・スミス牧師に従う人は、異端であり、クリスチャンとしての交わりを持つことはできない。