これまでずいぶんと、教会関係者から冷遇を受けてきた。
今でも自分が書いたものの出版を引き受けるクリスチャン出版社はないだろう。
なぜだろうか。
グノーシス主義やディスペンセーション主義の悪霊の洗脳を受けてきたから。
彼らが私のうちに、「危うさ」を感じるもの:
1.セオノミー
2.ポスト・ミレ
これが、彼らにとって、2大危険因子である。
とくにポスト・ミレに対する敵意は根強い。
なぜポスト・ミレが受け入れがたいかというと、彼らの受けた教育が「クリスチャンはこの地上支配を諦めて、ノンクリスチャンに任せろ。政治や金儲けはあまりにもダーティーで、クリスチャンがやるべきものではない。」というグノーシス主義やディスペンセーション主義の思想に深く汚染されていたからである。
グノーシス主義は、「霊肉二元論」である。
霊は尊く、肉は汚いと教える。
肉を嫌悪するので、物質界に属することがらが、すべてサタンの手に任される。
結局、グノーシス主義はディスペンセーション主義と同じように「地球の管理をサタンに明け渡す」ために編み出された教えなのである。
ミレニアムは、これと正反対のことを伝えてきた。
1.地球の管理は、聖書的クリスチャンがすべきである。
2.生まれながらの霊も肉もどちらも堕落によって汚染されており、この仕事はできない。信仰による生まれ変わりが必要である。
3.イエスの主権と聖霊の内住という「超自然的動因」により、地上を「超自然的に」変える以外に地球の管理はできない。
4.すべての「人間の自然的能力に頼る教え」を拒絶しなければならない。
今の、LGBT運動やポリティカル・コレクトネスの攻撃は人々から「人間の自然的能力に頼っても大丈夫だ」という人間教(ヒューマニズム)の幻想を打ち砕きつつある。
人々は「このまま人間教徒たちに任せたら、地上がめちゃくちゃになる」という危惧を抱きつつある。
90年代まで、大衆音楽は人々の心を躍らせる魅力があった。
次々と現れるヒット曲に人々は熱狂した。
しかし、今、どこにそんな曲があるだろうか。どこにそんなメロディーメーカーがいるだろうか。
第2のビートルズはいるだろうか。第2のレッド・ツェッペリンはいるだろうか。
第2の小室哲哉、第2の尾崎豊、第2のBOOWYはいるだろうか。
いない。
みんな、今のヒットチャートに興味はなく、昔の曲を聴いている。
ヒューマニズム側では、資源が枯渇している。
90年代までは「働けば車が買える、家が買える、・・・」という希望があった。
今はない。企業は業績がアップしても、労働者に還元しない。
時代が変わりつつある。
ヒューマニズムの時代は終焉を迎えつつある。
アメリカで進展しつつある再建主義の影響の急速な拡大は、次の時代を予告している。
つまり「再生した人間による超自然的な神の支配」の時代である。
もうわれわれを危険視する時期は終わった。
パラダイムは変わった。
乗り遅れないようにしよう。