自分でやれるだけのことをやったら「ぶん投げる」2
功利主義的かもしれませんが、怒っていいことなど一つもありません。
もちろんそれによって舐められるのはまずいですが、主張すべきことは主張し、舐められない範囲でポーカーフェイスになれればいいのではないかと思います。
私は、議論をする場合、御言葉を示したら、あとは神にお任せすることにして立ち去ることにしています。
なぜならば、御言葉は「水戸黄門の葵のご紋」のようなもので、最高権威である神の言葉なのですから、それ以上議論の余地がありません。
神の言葉を受け入れれば祝福が、拒否したら呪いが来る、という単純な結果しかありません。
紋所を示してなおも逆らう殿様は、お取り潰しにあうしかない。
神の言葉を示しても文句を言う人とは対話になりません。ですから、あとは議論せずに、ただ神の働きに委ねます。
「御使いのかしらミカエルは、モーセのからだについて、悪魔と論じ、言い争ったとき、あえて相手をののしり、さばくようなことはせず、『主があなたを戒めてくださるように』と言いました。」(ユダ9)
2019年4月26日
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