夢で教理を裏付けたり、終末の年代決定する偽教師から離れるべき


<Q>

夢で教理を裏付けたり、終末の年代決定する偽教師がいます。

<A>

(1)
夢を教えの根拠にするというのは、根本的に間違っています。
聖書の教えよりも上位の権威は存在しません。
それゆえ、聖書の教えは聖書の中にある教えや記述によってしか証明できません。
夢とか科学的知識、歴史的・考古学的知識など、聖書の外部のものを根拠にすることはできません。

たとえば、ある会社の社長が突然亡くなったとします。
遺書も何も残しませんでした。
ある問題が発生したときに、社長を絶対的に尊敬する社員は、社長の意思を最重要視しようとしました。
さて、何を根拠に社長の意思を判断するでしょうか。
社長の奥さんや社長の右腕だった専務に「社長ならこの問題をどう解釈し、対処するだろうか」と聞くでしょうか。
しかし、奥さんや専務が単純に誤解したり、会社を自分のものにしようとして嘘をつく可能性があります。
社長の意思をもっとも正しく判断する方法は、社長の書いた書物や日記、手紙、録音、講演記録などを調べることです。
そして社長の考え方や思想を学ぶことです。
神がわれわれに与えてくださった特別啓示は、旧新約66巻の聖書以外にはありません。
もちろん自然や新約時代の預言など被造物を通じて示される一般啓示もあります。
しかし、自然は堕落しており、絶対的基準にはなりません。

「また、人に仰せられた。『あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。』」(創世記3・17)

新約時代の預言も「吟味すべき」ものであり絶対ではありません。

「預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。 」(1コリント14・29)

これらの一般啓示は、特別啓示によって吟味をする必要があるので、私たちが頼るべき最高権威は聖書しかないのです。

イエス・キリストがじきじきに神の言葉として認められた旧約聖書と、証人として任命された使徒たちの証言書である新約聖書だけが特別啓示と呼ばれるべきものであり、絶対的権威なのです。

これが神の御心を絶対的に啓示してくれますので、これを基準としてすべての問題を評価し、判断し、それに基づいて行動することが人間に許された唯一の道です。

それ以外は、誤謬と異端を生む危険性があります。

(2)

世界の終末の年を決めるのは、間違いです。

なぜならば、聖書のどこにもそれを示唆する箇所がないからです。

ディスペンセーショナリストがマタイ24章など終末預言としてきた箇所は、ことごとく紀元70年のキリストの再臨に関するものであり、いわゆる全世界の歴史の終焉を示すものではありません。

「まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。」(マタイ16・28)

「イエスは彼らに言われた。『まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、神の国が力をもって到来しているのを見るまでは、決して死を味わわない者がいます。』」(マルコ9・1)

もしイエスが同時代人の生存中に来臨せず、われわれの未来に来臨されるならば、イエスはここで嘘をついたことになります。

ディスペンセーショナリストの再臨説は、イエスを嘘つきにする教えです。

自分の夢で聖書の教理を裏付けたり、年代決定するような人を偽教師と呼ばずに何と呼ぶべきでしょうか。

関係を断ち切るしか穢れを回避する方法はないと思います。

 

 

2013年6月21日



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