下記のメールを神学校に入られたある兄弟からいただいたのだが、返信してもリターンされてしまって連絡が取れません。
なぜかは不明です。
さて、神学の学びに身を投じ、先生が問題提起されていることの重要性をひしひしと感じ日々を過ごしております。
先生の語られる聖書的な発言は私の信仰を本当に励ましてくださっています。尊いお働きに心から感謝いたします。
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神学校で習う神学には良い神学だけでなく、先生のおっしゃる悪いもあります。そのような中で、先生の聖書的なメッセージにより、心が支えられています。
神学の基本は、聖書信仰です。
聖書は無謬の神の言葉であるとの信仰がなければ、神学は単なる哲学になります。
つまり、人間の頭が作り出した教えであり、神から来るものとは言えません。
このように神の言葉を曲げることは、絶対に許されない罪です。
神学者が「聖書には誤謬がある」と言い出したら、その神学者の書いてあるものを廃棄すべきです。
よほどしっかりした信仰を持っていない限り、そういう本を読むことはきわめて危険です。
自分の永遠の命を失いかねません。
われわれが永遠の命を保つ秘訣は、ひたすらに神の主権を認めて、悔い改めるしかないのです。
契約の中に留めてくださるように、嘆願して、毎日必死に祈るしかありません。
なぜならば、われわれはみな罪人だからです。
われわれは契約の中に留まる資格のないものです。
かろうじて留まることができるのは、イエス・キリストの犠牲があるからです。
われわれが、その犠牲を捧げて、神の御怒りを鎮めることによってしかわれわれが契約の中に留まる方法はない。
だから、聖書に誤りがあると言うような傲慢な言葉を発するあらゆる人物、組織、集団は、確実に契約から追い出されて、地獄に堕ちます。
そのような人物とは、同じ空気を吸ってもいけないくらい、われわれは警戒すべきです。
神の言葉を扱うことが、どれほど恐ろしいことか、近代以降人間は理解していない。
神の言葉を少しでもいじるならば、永遠の書から名を消されても文句は言えません。