世界の歴史は思想的変革を通じて進む
現在の歴史は、シオニストによって書かれたといってよいと思う。
たとえば、ガス室で600万人のユダヤ人が殺害されたというのはまったくのデタラメで、ガス室で殺害した後、どうやって死体を運び出すのか。ガスが付着しているわけだ。運ぶ人間がガスでやられてしまう。しかも、そのような死体を600万も処理できるはずがない。
たしかに、ユダヤ人迫害はあったし、殺害された人も多数いただろう。私の数少ない友人や知人のユダヤ人は、家族がナチスに殺害されている。
しかし、600万という数字はありえない。
犠牲者数は、政治的な道具になりえる。
仕事で訳したポグロムの資料集でも、ユダヤ人は数字をオーバーにいう傾向があり、被害額を多めに言って話を有利に進めようとする姿勢が見られたと記されていた。
ナチスによるユダヤ人迫害を誇張することによって、ユダヤ人は、政治的に有利な立場を得てきた。
ヤコブ・シフが日露戦争で日本に融資した理由は「ポグロムの復讐」であった。
この復讐を通じて、ロシアは弱体化し、ついには1917年の革命に至る。
ロシア革命は、ユダヤ人によって行われたものであり、革命政権には多数のユダヤ人がいた。
マルクスを共産主義者に変えたのはモーゼス・ヘスというユダヤ人であった。
ヘスはシオニストであり、シオニズムと共産主義は密接に関係している。
シオニズムとは、単にユダヤ人がパレスチナに帰還すること、その領土をアブラハム契約で規定された領域にまで拡大することではない。
それは、聖書にある「契約の民が世界を支配する」との約束を成就することである。
われわれクリスチャンは、その約束をすでに成就したと考えるが、シオニストたちは、「まだだ。将来、ユダヤ人が世界を政治的手段によって世界を支配するだろう」と考える。
イエスの時代にあった対立が現代にまで続いているのだ。
それは、
1.心に割礼を受けた契約の民と
2.心に割礼を受けていない契約の民
の対立である。
イエスを受け入れず、十字架につけた人々は、心に割礼を受けていない契約の民である。
心から神を愛するのではなく、預言者を殺し、律法を破り、イエスと弟子たちを排斥した人々。
彼らは表面的には割礼を受けているが、心には受けていなかった。だから、悟りのない人々、聖霊による理解がない人々であった。
紀元70年に神殿が崩壊し、これらの名目的なユダヤ人は滅ぼされた。
パレスチナを追われ、世界に散った。
彼らの子孫であるユダヤ人は、現在、「イエスによらない世界支配」を狙っている。
彼らの手段は、武力と政治力である。
今のイスラエル国の英雄はマサダの勇士である。マサダの要塞において最後までローマ軍と戦い、玉砕した人々である。
それに対して、本当の契約の民、心に割礼を受けている人々、つまり、クリスチャンは、まったく別の世界支配を期待する。
彼らと同じように世界支配を期待するが、それは、聖霊によってである。
武力ではない。政治力でもない。聖霊によって世界を支配することを目指す。
つまり、伝道である。
伝道によって人々の心を聖霊によって変え、心から喜んでキリストに従う中で実現する世界統一を目指す。
だから、ディスペンセーショナリストのクリスチャンは、クリスチャンではない。彼らは、1に属する人々である。
シオニストと同じ手段で世界征服を期待する。
パット・ロバートソンやビリー・グラハムなど現代のディスペンセーショナリスト福音派クリスチャンの指導者を見なさい。
イスラエル国を支持する。イスラエルがやっている虐殺を黙認する。もしくは、積極的に同意する。核兵器まで使ってよいという者すらいる。
彼らはその実、心に割礼を受けていない契約の民である。
一応、洗礼を受けて契約の中に入ったが、心において異邦人である。
もし聖霊に導かれているならば、シオニズムを捨てるはずだ。
しかし、それを信じている。
われわれは、彼らの仲間にはなれない。
われわれの理解は、こうだ。
キリストは、すでにアブラハム契約を成就され、イスラエルは回復した。なぜならば、世界はキリストにおいて支配されたからだ。
キリストは「天地における一切の権威が与えられた」と宣言された。
そして、ペテロは「われわれは王なる祭司である」と言った(1ペテロ2・9)。
パウロは、クリスチャンは「キリストとともに天のところに座っている」と宣言した(エペソ2・6)。
神は、クリスチャンの「足でサタンを踏み砕いてくださ」ると宣言した(ローマ16・20)。
だから、クリスチャンは世界の王である。
すでに世界は「法的に」神の国、キリストの王国であり、われわれの使命はその王国を「実際的に」実現することにある。
それは教育と伝道による。
「私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ」る(2コリント10・5)
そんなマルクスはかつて、宗教を「大衆のアヘン」とののしり、無神論者と自称していたが、実は彼は元は敬虔なクリスチャンであり、後にサタン教に転向したと、ユダヤ人のプロテスタント牧師フォン・リチャード・ウンブランド著の『マルクスとサタン』(1986)で明らかにした。この事実が最近、海外中国語メディアで取り上げられ、それをきっかけに中国国内で話題を呼び、人々に衝撃を与えた。サタン教メンバーが作り出した共産主義はもしかして真理ではなく、理想主義のマスクを被ったサタン教の変身ではないか、と思い始めた中国人の共産主義への信仰の基盤が揺れ始めている。
http://www.epochtimes.jp/jp/2010/12/html/d92841.html
2011年5月5日
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