一度しかない人生を虚偽のために浪費したいですか?


1.

ミトラ教が、キリスト教と類似しているのは、離散ユダヤ人の宗教の影響を受けたからだと考えています。

ミトラ教の広がりが東洋における救い主の待望につながったとの見方をするディスペンセーション主義者の本を読んだことがあります。

幼子イエスを礼拝するためにベツレヘムにやってきた東方の博士はその一例だと。

ここにすでに「信仰の破れ目」が現れています。

ノンクリスチャンは、ミトラ教を利用して「キリスト教は他の宗教の思想を借りたのだ」ということが多いですが、逆です。

離散ユダヤ人の存在がミトラ教に影響を与えて、処女降誕や三位一体や様々な宗教が生まれたのです。

あくまでもクリスチャンは「聖書は神の言葉でありここに知識の源泉がある」と信じなければならない。

だいたい、ノンクリスチャンは類似したものを見るとすぐに「キリスト教が真似た」と鬼の首を取ったように言う傾向があります。

彼らは思想の定まらない「海の大波」です。


ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。(ヤコブ1・6)

2.

クリスチャンの心構えは、次のようでなければなりません。

聖書は「不動の真理」であると信じる。考古学的発見や科学的理論、人間の頭で作り上げた学説などに影響されてはならない。

「聖書は、一点一画たりとも落ちない」神の啓示なのですから、こちらが基準なのです。

その基準によって、学説を評価する。

もし聖書啓示と矛盾する学説ならば、拒絶する。

「それは、科学的態度ではない」と言われようがなんだろうがどうでもいい。

学界から追い出されようが、基地外扱いされようがどうでもいい。

学者として成功するなど考えて信仰などできません。

「社会的に死ぬ」覚悟をすべきです。

「いや、学界から干されたら生きていけません」と?

生きて行けます。

「神の国とその義を第一に求めなさい。そうすれば、衣食住は添えて与えられる」と約束されています。

「自分の命を救おうとする者は、それを失い、失う者はそれを得る」のです。

これが原則。

信仰よりも「食べていくこと」を優先すると、食べていけなくなります。

全部捨てる!人間関係も、地位も、名誉も、利益も。

逆に与えられます。

人々は「再建主義を信じると社会でやっていけなくなるな」と直観で思うから、恐れて近づかない。

これこそが「われわれを遠巻きにして近寄らない」原因です。

一度しかない人生を虚偽のために浪費したいですか?

 

 

2018年12月22日



ツイート

 

 ホーム

 



robcorp@millnm.net