日本は一神教の国だった


8世紀以前、日本は一神教の国だった。

龍神社の国宝にして日本最古の系図である『海部氏勘注系図』に「豊受大神のまたの名は、アメノミナ力ヌシ、クニノトコ夕チで、その顕現の神をウカ ノミタマ(稲荷神)という。アメノミナ力ヌシは、宇宙根源の大元霊神である。」と記されている。

つまり、籠神社の豊受大神と造化三神の中心神である天之御中主神、日本書紀の国常立尊、稲荷神社の宇迦之御魂神または倉稲魂尊は、同一の神であると。

それに基づいて、籠神社の宮司だった海部穀定氏は、『元初の神と大和朝廷の始元』(桜楓社)の中で、次のように言われた。

「日本の過去の神道に、相当古い時代から『大元神』『大元霊神』という字句が用いられている。この『大元神』(大元霊神)は、一面、一神教の『神』に該当せられる御神格を有せられる。現代的字句では、これを最高神とも呼んでいる」

「和銅養老年中、記紀(『古事記』と『日本書紀』)撰進に至るまでの上古に、すでに元初の神、すなわち、大元霊神の信仰があり、その御名は、天之御中主神、天の常立尊、ウマシアシカビヒコヂノ尊、国常立尊、豊受大神、天照大神など、様々に申し上げていた」

「それらの神々は、究極は、大元霊神、元初の神の一元に帰着するのであって、この究極の大神を、古事記は天之御中主神と云い、書紀(『日本書紀』)は国常立尊と云い、神宮所伝では豊受大神と申し、神代本紀は、天譲日天狭霧国禅月国狭霧尊と申しているのである。したがって、これらの大元霊神は、もちろん異名同神であらせられる次第なのである」。

(日本とユダヤ 聖徳太子の謎 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス) 久保 有政 (著))

 

 

2016年4月15日



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