(1)
尹という字がなぜ「天地を仲介する」という意味になるのか。
支配の杓を手で持っている図とも見えるが、もともとは天地を表す「二」であった「コ」という形の中に「十」を入れてできたのではないか。
天地を十字架が結ぶ。
これが正しいとすれば、伊勢(もともと伊蘓=伊蘇だった)とは、「天地を十字架によって結ぶ人が復活した」という意味になり、もろにキリスト教ということになる。
その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。(コロサイ1・20)
伊勢神宮は、十字架によって天地を和解させ、調和させたイエス・キリストをまつっている神社である。
だから、内宮に十字架があり、その地下宮に契約の箱があると言われているのだ。
十字架の血が下の契約の箱にかかるように配置されている。
これは、十字架の犠牲によって神と人の和解の契約が成就したことを示す。
十字架によって被造物は神と調和でき、一体化できる。
つまり、空海の即身成仏である。
高野山が剣山と伊勢神宮を結ぶ直線上に配置されたのは、十字架による和解を示すためだったのだろう。
(2)
縦線と横線が交差する十字架は、陰陽の調和である。
生命の樹において、縦線は「均衡の柱」、「慈悲の柱」、「峻厳の柱」で3本に分かれ、
横線は至高世界・中高世界・下層世界、滅びの世界で4本に分かれる。
3x4は陰陽の調和を示す。
神道の元締め漢波羅(八咫烏)にとって、四国に三本の橋がかかったことは、陰陽の調和を示すのだろう。
イエスの使命は、天地の和解であるから、八咫烏にとってそれは陰陽の調和である。
十字架によって天地が和解が達成した後に、イエスは十字架の上で「成就した(完成した、支払いが終わった)」と言われた。
これは、ギリシャ語では「テテレスタイ」。
「完成する、約束が成就する、債務の支払いが完了する」という意味の完了時制である。
ギリシャ語の完了時制は、「過去の動作の結果に基づいた現在の状態を表す」(J・グレシャム・メイチェン、『新約聖書ギリシャ語原典入門』、新生運動協力会)から、「今も成就している(完成している、支払いが終わっている)状態である」ことが強調して言われている。
だからこそ、イエスは復活された。
罪の支払いが完了してしまっているので、刑罰は終了したのである。
だから、復活して生きることになった。
天地の合一、陰陽の調和の次に、復活が続くのはきわめて自然である。
もし四国に三本の橋がかかったことが、生命の樹の完成であり、陰陽の調和、天地の合一を象徴するということになれば、復活がそれに続くはずだ。
空海がキツネを追い出して、陰陽が分離されたと仮定し、「鉄の橋とともに本州から帰ってくる」ことによって、陰陽が調和したとすれば、復活だ。
何の復活か。
プラスの電極とマイナスの電極を銅線でつなぐと、電流が流れる。
電気器具は作動する。
離せば、停止する。
本州が陽で、四国が陰であれば、橋がかかることによって、日本と言う国が復活するのではないか。
そういうことを空海は予言したのかもしれない。