教祖に共感して??
1.
飛行機に乗るとき、タラップから機体を見たら、ボルトが緩んでいるのを発見したとする。
あなたはどう対応するか。
係員に注意し、緩みをなおすまで飛行機に乗らないだろう。
自分の命をあずける飛行機がいいかげんな状態にあるならば、絶対に利用しないだろう。
宗教も同じである。
宗教は、人生のすべてを支配する。
宗教=世界観であるから、物事の見方、行動規範、価値判断など、人間の生活のほぼすべてを支配する。
このようなきわめて重要なものを選択する際に「まあ、これでいいや」ではすまされない。
オウム事件を起こした人々は、宗教の選択を間違ったことによって貴重な一生を無駄に使った。
新興宗教を信じる人が大切にしているのは、客観的価値というより、自分の気持ちである。
そもそもそんなに大切な教えが、最近発見された、なんてわけがないだろう。
本当に大切な教えであれば、歴史があるはず。
まだ齢50にも達していない人が、あなたの人生を左右する教えを「人類史上初めて」編み出せるわけがない。
宗教を選ぶ場合には、歴史性があるかどうか、は重要なチェックポイントである。
2.
歴史性を重視する人は、「キリスト教は労働を刑罰と見る。だから西洋文化では労働は嫌悪される」などという陳腐な理解はしない。
2000年生き残っているものは、2000年の間、無数の人々がチェックし、普遍的価値があるから生き残っているのである。
労働を忌避するような教えが2000年生き残れるわけがない。
むしろ、キリスト教こそが、西洋の資本主義社会を支える労働倫理を形成し、それによってヨーロッパが他の地域を圧倒する力を蓄積できるようになった。
3.
アウグスチヌスの『神の国』がなぜ今でも読まれているのかと言えば、無数の人々によって「これは重要な本だ」と理解されてきたからである。
カルヴァンの『キリスト教綱要』がなぜ世界を変えたかというと、それだけのすごい価値が詰まっているからだ。
漫画やテレビばかり見ていると、ものの見方が浅い人間が育つ。
なぜならば、漫画やテレビの作り手は2000年の歴史の試練を経ていないからだ。
せいぜい20〜30年の寿命である。
古典を読まない人は、深く考えることができず、世の中の流れに流されやすく、騙されやすい。考え方が安易で陳腐である。
もしキリスト教を否定したいのであれば、キリスト教とは何かをしっかりと把握しなければならない。
そんな「労働を刑罰と考える」というレベルの無教養な人間が相手にできるようなものではない。
4.
宗教は、自分の人生を左右するこの上もなく貴重なものである。
「教祖に共感して」のレベルでは危ない。
2017年3月22日
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