プレ・ミレを忠実に実行すると文化的に無能になる


Q.

「たとえプレ・ミレであっても、文化建設とか家庭建設は重要だと考えることができるので、信徒の生活を破壊することにはならないと思います」

A.

プレ・ミレは「世界はいずれ反キリストに飲み込まれ、世界政府のもとでクリスチャンは迫害される」と教えますので、文化建設も家庭建設もできません。

もしこのような思想を前提として行動しても、破滅的な生き方にならないとしたら、それは、その人が本気で信じていないからです。

世界観は次の3つの要素から成り立ちます。

1.存在論
2.認識論
3.倫理

どの宗教もこの3つの要素から成立しており、互いに影響を与えあいます。

存在論において「世界は偶然に進化によって成立した」と信じるならば、倫理は「じゃあ、道徳法は存在しない」となります。

進化論を信じるならば、当然の帰結として、「無律法」になる。

人間には神からの良心があるので、その前提を徹底して適用することはしません。

社会がかろうじて成立しているのは、進化論を建前として受け入れ、実際の場面では「普遍的道徳律が存在する」という考えにしたがって行動する人々が多いからです。

しかし、前提は時代がたつとそれをまともに適用する人々が増えるので、最終的に毒麦は実を結ぶ。

プレ・ミレの存在論「世界はサタンによって牛耳られていて、再臨前に、最終的にはサタンが勝つ」を忠実に実行するならば、「じゃあ、今クリスチャンが文化的になにをしても無駄だ」となり、「沈みゆく船の上の真鍮を磨くのはバカげている」と結論して、家庭建設とか熱心に行わなくなる。

プレ・ミレがなぜその実態をまだ表していないかというと、まだ「機が熟していない」からです。

前提を忠実に実行すれば、必ずクリスチャンは浮き草のようになります。

文化にとって、社会にとって、影響力のまったくない存在価値のないものになります。

これは、「世の光、地の塩」たるべきクリスチャンの姿からかい離しています。

だから、プレ・ミレは聖書全体の教えと調和しません。

 

 

2015年1月25日



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