本体論的三位一体と経綸的三位一体を混同すると異端になる
>>神は3人おられるが、契約によって一人である。も
>神はあくまでも一人だよ。
>父,子、聖霊の三位一体!
>神が3人いたら一神教ではないだろ!
>お惚けだね。偏差値28とか言われるぞ!
向こうに書き込みができなくなっているので。
本体論的三位一体(ontological trinity)と経綸的三位一体(economical trinity)を混同している典型ですね。
三位一体論については、ローマ・カトリックとプロテスタント両方とも、神に3つのペルソナがあり、それが一つとなると信じています。
本体論的(存在論的)には、神は3つのペルソナを持つので、3人なのです。
それが、契約(経綸)によって一体化する。
だから、法人と同じと言ったのです。
多数の社員がいても、契約上一体化して一人となる。
法律上は一人として計算される。
「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」(創世記1・27、2・24)
ここで、神はご自身に似せて人を創造され、男と女に創造された、とあり、ふたりは結婚によって一体化する、と記されています。
男女という異なる人格が契約的に一体化する。これが、神の似姿である、と言っている。
だから、神も異なる複数の人格があり、それが一体化するのです。
このカキコ氏の見解は、実質的に「一神教だから、神は一人。だから、父、子、聖霊はそれぞれ別個の神ではない」といっているのと同じで、ユニテリアン(一位一神論)の異端になってしまっています。
これは、3世紀に異端として退けられたサベリウス主義と同様の間違い。
ちなみにサベリウス主義とは、
「サベリウス主義は、同一の人格が、父でもあり、子でもあり、聖霊でもある。神は世と教会の中において、様々な関係の中でご自身を顕現されるが、父、子、御霊とは、そのような様々な関係を表現していると信じる」(チャールズ・ホッジ)
つまり、一位一神が、状況によって父、子、聖霊に変わると。
父、子、聖霊はそれぞれ別の人格ではないと。
様態に過ぎないと。それゆえ、サベリウス主義は様態論とも呼ばれる。
>>契約によって一人
>えっ?!残りの二人はどうしたの?殺害したの?
>これだとあんたが神様じゃん?!
だから、3人が契約結んで1つのグループとなって、それを法的に一人とみなすのですよ。消えたわけではない。
でも、「残りの二人」と言っている時点で、さっき言ったことと矛盾してますよね。
2015年12月9日
ホーム