いのちは神のものである
しかし、肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない。(創世記9・4)
人がもし、月のさわりのある女と寝て、これを犯すなら、男は女の泉をあばき、女はその血の泉を現わしたのである。ふたりはその民の間から断たれる。(レビ記20・18)
聖書において、血は、いのちの象徴である。
血のついた肉を食べたり、生理中の女性と寝ることが禁止されているのは、いのちが神にのみ属することを示している。
人間には、被造物を食べ、楽しむことが許されているが、全面的ではない。
全面的な自由は神にのみ属する。
人間は、神の下にいる被造物であり、それゆえ、人間の自由は「神の主権を認めたうえでの制限された自由」である。
今日、宗教上の理由での上記の行為は禁止されていない。
ヒンズー教徒の「牛を食べてはならない」とか、ユダヤ教の「豚を食べてはならない」という戒律に縛られないのと同様である。
しかし、法の本質「いのちは神にのみ属する」は有効である。
われわれは、人の命であれ動物の命であれ、自由にできない。
神が認められた場合にのみ殺すことができる。
国家は、故意の殺人者を殺すことができる。
しかし、殺人などのしかるべき理由がなければ殺すことはできない。
動物は食用にすることができる。
しかし、しかるべき理由がない限り殺すことはできない。
すべてのいのちは、神のものであるから、人であれ動物であれいのちを扱う場合には神を恐れなければならない。
2015年8月8日
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