預言者をなめるとろくなことはない


信仰の戦いを積んでいくと、霊的な世界の仕組みが見えてくる。

われわれが神の国を建設できないようにサタンはいろいろな仕掛けをする。

その一つが、人である。

サタンは人を送ってくる。

その人を通じて、われわれを「霊的なボケ状態」に陥らせる。

霊的にボケるとはどういうことか。

「神の国なんてどうでもいい」「人が救われることなどどうでもいい」「神学などやっても何もならない」「聖書を勉強すると暗くなる」

こういうことを考えたり言い出したりする状態である。

つまり「エサウ化」である。

一杯の煮物を得るために長子の権利を売り渡したエサウのように、霊的な事柄について無頓着になることである。

われわれは、つねにエサウ化の危険にさらされている。

サタンはエサウ化するのにふさわしい誰かを送り「信仰に熱心になるのはよくない」とか「霊的なことにこだわってもお金にならない」とか言わせる。

心配をかきたてる人も送ってくる。

「そんな宗教に熱心になって、現実の生活はどうするの?」みたいな。

神の国とその義を第一とせよ、という原則を忘れさせる。

私は、こういう人と会わないようにしている。

少しでもサタン臭がすると避ける。

彼らの横には、深い穴が開いている。

口車に乗ると、吸い込まれて地獄に連れていかれる。

気づいたら、霊的な問題について無頓着になっている自分がいる。

神は歴史の転換点において、神の国側につく人を少数だけ残され、大多数が騙されることをよしとされる。

門は狭いのである。

ミレニアムのように「聖書のみ」の信仰を徹底して奉じる立場から離れたら、あなたは、広い門を選択したのである。

預言者をなめるとろくなことはない。

 

 

2019年1月12日



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