今の福音派の人々はよく、たばこを吸う人を「不信仰だ」と非難する。
聖書のどこに「たばこを吸ってはならない」とありますか?
酒も不信仰の証拠のアイテムだが、聖書でどこに酒を飲む人は不信仰だとありますか。
むしろ「○〇を食べてはならない。味わってはならない」というのは幼稚な教え、この世の生き方、人間の戒めと教えだと言われている。
もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、「すがるな。味わうな。さわるな」というような定めに縛られるのですか。そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。(コロサイ2・20-22)
福音派でもしばしば称賛される大説教家スポルジョンは愛煙家であった。
彼の発言が宣伝文句として利用されているタバコの銘柄(Players Cigarettes)まであった。
ここでこう書かれている。
タバコは、激しい痛みを和らげ、疲れた脳を休ませ、静かなリフレッシュさせる睡眠を与えてくれる。そのようなとき、私は神に感謝し、御名をほめたたえるのである。
http://p.tl/xW65
これは、Daily Telegraph紙への手紙に記されている彼の言葉である。
http://www.spurgeon.org/misc/cigars.htm
このページには、スポルジョンがタバコを吸いながら書斎で仕事をする絵がある。
しかし、注意が必要なのは、スポルジョンの喫煙はけっして中毒ではなかった。中毒にならないように注意を払った。
また、もし喫煙がその人にとって罪悪感を生じさせるものであるならば、それは罪となるとも言っている。
彼は「タバコそのものは悪ではない」と考えていた。
この世界に存在するもので、それ自体が悪いとするようなものがあるわけがない。
なぜならば神の創造だから。
「すべてはよかった」とある。
創造のときにタバコという植物はなかったのであろうか。
いや。あった。
だから、タバコそのものは悪ではない。
ただ自分が悪いと感じる人、健康のために控えなければならない人にとってそれは悪い。
タバコや酒が誘惑となり、それによって自分が堕落してしまうような人にとってそれは悪い。
私は健康に影響があるので、両者をたしなまない。
今日の分煙や禁煙運動は、地球温暖化CO2説や、捕鯨反対のように、緑の政治が深くかかわっている。
(Lam Peng-Er, "Green Politics in Japan")
緑の政治には、ロックフェラーが資金提供している。
この運動など「母なる大地」を唱える運動は、明らかにボヘミアン・グローブにおけるモロク礼拝と関係しており、聖書的キリスト教から出たものではない。
いわゆる「人間が地球を汚している。だから人口を減らすべきだ」との「人殺し」運動である。
裏にフリーメイソン・イルミナティがいることに気付くべきだ。