オーバン・アヴェニュー神学は異端以外の何物でもない7
われわれは、自分や子供の学校を選ぶときに何を基準とするだろうか。
第1に「教え」である。
仲間がどうだとか、いい人が集まっているか、というのは2次的である。
教えが間違っており、そこに行くと誤謬を教え込まれるならば、行く意味がない。
というより、有害である。
学校に行くことによって害を受けるならば行かないほうがいい。
異端の教会であるかどうかは、非常に重要である。
なぜならば、異端の教会に行ってその異端を受け入れ、助けるならば、永遠の刑罰に至るからだ。
永遠に燃える火の池で暮らさないといけなくなる。
この害と比べれば、オレオレ詐欺にかかったほうがはるかにましだ。
冤罪で50年拘束されたほうがはるかにましだ。
だから、異端を教える教会は、オレオレ詐欺など比べ物にならないくらい悪質である。
教会員が「いい人」かどうかなどどうでもいい。
統一教会の中は、純朴な「いい人」が多い。「温かい交流」で田舎から出てきた純朴な人々をつっているので。
「教会員がいい人だ」「牧師の話がおもしろい」「親切にしてもらえた」とかは、「教えが異端だ」ということと比べればどうでもいいことである。
教えが間違っていたら、それらすべてはゼロである。全部無視すべきだ。
「やさしい異端の牧師」のところに行くならば、「性格の悪い正統派の牧師」のところに行ったほうがいい。
ことは、永遠の運命の問題である。
死後、永遠の祝福を受けるのか、それとも、永遠の呪いを受けるのか。
教会を決める際は、その教会が何を教えているかに注目し、その他一切無視すべき。
趣味のサークルとは違う。
自分の永遠の運命を決める恐ろしい選択だということを肝に銘じるべきだ。
2014年4月17日
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