大宣教命令は紀元70年以前に法的に成就している



彼は自分の十人のしもべを呼んで、十ミナを与え、彼らに言った。『私が帰るまで、これで商売しなさい。』(ルカ19・13)

この箇所で「商売しなさい」は、キング・ジェームズ訳ではOccupy、つまり「占領しなさい」と訳されている。

つまり、

私が帰るまで、これで占領しなさい。

と訳されている。

ただし、occupyには「従事させる」という意味があり、名詞occupationは「従事するもの」→「職業」という意味である。

だから、

私が帰るまで、これで仕事をしなさい。

という意味に訳せる。

原語は、pragmateusasqeである。

この動詞のもととなった名詞pragmaは「ビジネス」「任務」「義務」という意味である。

であるから「ビジネスをしろ」「儲けろ」「義務を果たせ」という意味である。(TDNT, vol.VI, p.640)

つまり、このたとえにおいて、イエスは「弟子たちには、十ミナが与えられるので、それでビジネスをしろ(儲けろ、義務を果たせ)」と言われた。

イエスが戻られる紀元70年までの間に、弟子たちは、やるべき仕事があった。

それは、神のために「ビジネス」「金儲け」「義務」を行うということである。

もちろん、文字通りのビジネス、金儲けとは限らない。

目的は、「神のために利益を得る」ということであるから、「伝道して人々を救いに導くこと」「教会を建設すること」「神の国を拡大すること」と解釈できる。

弟子たちは、イエスの来臨までの間に、神の国を拡大しなければならなかった。

この命令にしたがって、彼らは世界に出ていった。

契約の民のもとに行って「メシアが現れ、十字架において我々の罪の代価を支払い、律法を完全に守って永遠の命を与えてくれた」と伝えた。

当時、ユダヤ人の間には、緊密な連絡網があった。

神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、国外に散っている十二の部族へあいさつを送ります。(ヤコブ1・1)

この連絡網を通じて、弟子たちは契約の民のもとに福音を伝え、契約の民が拒絶した場合に、異邦人のもとに行って伝えた。

紀元70年までの間に、イエスの命令は成就された。

パウロは、こう語っている。

まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。(ローマ1・8)

全世界にクリスチャンのメッセージは伝わっていた。

紀元70年までに、福音が全世界に伝わり、一つの時代が完結した。

弟子たちはイエスの命令を守り、成就した。

よく「世界伝道は終わっていないので、マタイ28章19-20節の大宣教命令は成就していない。だから、終末はまだ来ていない」という人がいる。

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28・19-20)

しかし、パウロが言うように、御言葉は「全世界に言い伝えられてい」たのである。

だから、紀元70年前に、大宣教命令は成就した。

この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。(コロサイ1・6)

確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。「キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」(1テモテ3・16)

紀元70年前に、「世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届」き、「キリストは…世界中で信じられ」た。

紀元70年以前に、大宣教命令は成就した。

しかし、これは、「第1の清め」である。

律法によれば、清めは2度必要である。

第2の清めは、われわれの世界が終焉するときに起きる。

第1の清めはあくまでも「法的清め」である。

信仰が伝わり、世界中の民が法的に清められた。

その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。(コロサイ1・20)

世界は、紀元70年において「法的に和解した」。

しかし、「実際には」和解していない。

第1の再臨から第2の再臨の間、つまり、われわれの時代は、「法的事実の実際化」の時代である。

法的に実現した大宣教命令が、実際化しなければならない。つまり、実際に諸国民が弟子化されなければならない。

われわれが見る世界の民は、紀元70年において一度清められた人々である。

彼らは「法的に神の国に入った」。

しかし、実際的には、依然として神の国の外側の人々である。

諸国民は、現在、法的に救われる資格があるにもかかわらず、それを実際に適用しないために滅びる人々である。

完治する薬を手に入れているのに、それを飲まないで死んでしまう人々のようである。

保険に入って保険金を受け取る権利があるのに、申請しないために受け取れない人のようである。

われわれの使命は、「あなたは救われる権利があり、イエス・キリストという薬を手に入れました。だから、それを飲んで治ってください」と伝えることである。

大宣教命令は、紀元70年以前に成就した。しかし、それは、法的な成就であって、実際的な成就ではない。

われわれに与えられた使命を全うし、人々を実際に契約の中に招きいれよう。

キリストがわれわれに与えられた10ミナを使って、人々を第2の再臨に備えさせよう。

 

 

2014年10月17日



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