安息日を今日でも宗教的義務として順守すべきと説く人へ


1.

以下、フェイスブックで安息日順守派の人々に提起した問題点。


Jesus came to fulfill "Law or Prophet" and proclaimed "Fulfilled" on the cross, so the laws of the Old Testament have been fulfilled completely in Him. It is wrong to support the law of keeping Sabbath still now. When Jesus said "Come to me, all you who are weary and burdened, and I will give you rest", He said that the Sabbath system was fulfilled once and for all in Him. So we are always in the Sabbath, or perpetual rest, IN JESUS CHRIST. If we insist that we should keep the Sabbath still now, we must keep the system of the Biblical calendar exactly, where a year started from the day that the Chief Priest decided by checking the shape of the Moon because each month began with a new moon. And in the system, the days of week and the date were fixed with each other (e.g., Jan 14 must be Friday. exod 12:18), while we are living in the different one, where they are changeable. And we should keep one Sabbatical year coming every 7 years and two years every 50 years. How could it be possible for us to keep them living in the modern industrial society? The system of the calendar during the Old Testament period was a type that symbolizes the salvation given by Jesus Christ: the freedom from the slavery caused by sin.

The types of the Old Testament symbolizing the works and personality of Jesus Christ were fulfilled and abolished eternally. Otherwise, we must continue the circumcision, establish the God's Temple in Jerusalem, where we should offer sheep and cattle to God, which the Bible strictly forbids us to do, and we should not eat the meat of pigs, fish without scales and so on. We can obey the laws of those types through recognizing the works of Jesus Christ as the essence of them. So we can obey the Sabbath law through recognizing Jesus as a giver of comfort to us. The dispensations of the OT changed completely in the NT era, so that the OT laws have changed to be applicable to every era and every place in order that every nation shall be the disciple of Jesus. Again I say, if we should obey the Sabbath laws, we should reestablish the system of calendar of OT.

つまり、ここで述べたのは、もし安息日の律法を今日でも守らなければならないとしたら、安息年も守るべきであり、暦制度を全部旧約時代のそれに戻すべきであると。

これに対して、「聖書の律法はすべて永遠の効力を持つ」と書いてあるとの返事があった。

私は、「聖書の型に関する律法はイエス・キリストにおいて成就した」ので「永遠に廃止された」と述べた。

ここで「廃止された」というのは「無効になった」という意味ではない。

旧約律法は、イエス・キリストにおいて確立されたのである。

どのように?

安息日の律法は、「イエス・キリストにおいて永遠の休みを得る」という形で恒久化されたのである。

われわれは、イエス・キリストにおいて救いを得る。罪からの解放、罪の結果からの解放、奴隷からの解放、病気や死からの解放。

イエス・キリストを信じるわれわれにとって、すべての日が安息である。

われわれは、イエス・キリストにあって、永遠に安息の状態に入った。

だから、7年に1年、50年に2年丸々休みを取る必要もない。

なぜならば、イエス・キリストにおいて常に休息しているから。

もしそれが事実でなければ、次の言葉は嘘になる。

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11・28)

われわれには、いつでも安息を得る権利がある。

イエス・キリストに依存し、休息を求めるときに、われわれにはそれが与えられる。

旧約聖書の律法は、イエス・キリストにおいて成就し、確立されたのであって、無効化したのではない。

動物犠牲は、イエス・キリストにおいて本質が現れたことによって廃棄されたが、無効化されたわけではない。

それは、かえってイエス・キリストにおいて有効化された。

シミュレーション装置で練習していた訓練生が成長して本物のパイロットになったら、もはやシミュレーション装置が必要なくなる(もちろん、技術向上用に使い続ける場合もあるだろうが)のと同じである。

ただし、安息日の制度、つまり、7日に1日休む、7年に1年休む、50年に2年休むなどは、人間の精神的肉体的健康にとって有益な部分があるので、実践すべきであろう。

しかし、それを宗教的な義務として実践すべきではない。

もし「律法は永遠の掟として与える」との御言葉に基づいて宗教的にも実践すべきと考えるなら、割礼や神殿における動物犠牲も復活させなければならない。

聖書の陰暦をも復活させ、祭りの制度も回復すべきである。

しかし、それは、聖書において禁止されている。

パウロは「割礼を受けろというなら、根元から切ってしまえ」とすら言っている。

旧約律法は、全世界の国民の弟子化のために、普遍化されるべきである。

つまり、律法に関しては次のようにすべきである。

(1)イエス・キリストを示す型に関する律法

イエス・キリストの御業やご人格を予表する型に関する律法は、イエス・キリストという実体の登場とともにその役割を終えた。

だから、神殿も動物犠牲も不要である。

それらを通してイエス・キリストを見れば、十分である。

(2)それ以外の律法

その他の律法については、エッセンスを取り出して、それぞれの時代や地域に適用できるように変えるべきである。

2.

イエス・キリストはメルキゼデクと同じ位の大祭司となった。

イエスは私たちの先駆けとしてそこに入り、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました。(ヘブル6・20)

メルキゼデクとは、アブラハムの時代の大祭司である。

つまり、まだイスラエル民族が誕生する前の、超民族的な時代のことである。

モーセ律法は、イスラエルの民族に対して与えられ、大祭司はレビ人でなければならなかった。

祭司職が変われば、律法も必ず変わらなければなりません(ヘブル7・12)

イエス・キリストが超民族的な大祭司になられて、祭司職が変化したので、律法も変わらなければならない。

つまり、律法も超民族的なものに変わったのである。

それゆえ、モーセ律法は、その本質を取り出して、あらゆる民族や時代に柔軟に形を変えて適用されるべきものに変わったのである。

安息日に固執するならば、数々の解決できない問題に遭遇する。

以上述べたように考えるならば、合理的に理解できるだろう。

 

 

2017年4月19日



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