後悔先に立たず


われわれはいつ死ぬかわからない。

突然、道を歩いているときに命を取られるかもしれない。

そうすれば、すぐに神と直面することになる。

神は自分の人生を誕生から死までずっと見せて、評価される。

まずイエス・キリストを信じていたかどうか。

信じていなかった人は、地獄に行く。そして、その行いに応じて刑罰を受ける。

キリストの(第2の)再臨のときまでそこで苦しむ。

再臨があって永遠の世界が到来するときに、復活体が与えられ、その体ごと「火の池」に投げ込まれ、霊と肉の両方において永遠に苦しむ。

信じていた人は、どの程度神の国とその義のために働いたか評価される。

生前自分に与えられていたものをどの程度活用したのか、問われる。

「これはあなたから預けられた賜物ですが、投資せず、そのまま畑に埋めておきました。そっくりお返しします。」と言う人は暗闇に投げ込まれる。

神の国において「貯蓄のみ」の人は、叱責される。

預けられたものを利用して商売し、儲けた人だけが評価される。

つまり、自分に与えられた才能や財産を何かに投資し、それを何倍にもした人だけが、永遠の報いを受ける。

この地上を神の国に変えるために働かないディスペンセーショナリズムの教会に献金しても、全部ドブに捨てるようなものである。

「神様、私はディスペンセーショナリズムの教会に億単位の献金をしてきました」と言っても、神から「ディスペンセーショナリズムは『この世を変えることはできない』と教えるので、私の国の拡大を妨害している。だから、お前の献金はゼロだ。いや、むしろ、まともな伝道を妨害したことになるからマイナスだ!」と言われる。

遠い先の話に聞こえるかもしれないが、今日・明日にでも起きる。

この地上での期間が終了したら、もう元には戻れない。

後悔先に立たず。

 

 

2016年9月28日



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