四国そのものが神社である2


四国そのものが神社であり、御神域であるならば、そこには古代から祭司やレビ系の人々がいたのではないだろうか。

K氏の奥さんは母方が四国の出身である。

先祖代々、皇室の家具を作る役割を果たしていたという。

阿波忌部の三木氏は、代々大嘗祭において着る衣装、鹿服(アラタエ)を作ってきた。

神の幕屋や神殿の内部には、ケルビムが織り込まれていて、警護の役割をはたしていた。

ケルビムには羽があったので、神社における鳥は警護担当者を象徴する存在である。

だから、鳥居とは、鳥が居る場所=警護担当者がいる場所。

入口で御神域に入るに値する人物かチェックする。

四国の入り口が神戸だとすると、神戸にはそういったチェックする機能があるのではないだろうか。

神戸の語源は、「古代から中世の日本において特定の神社の祭祀を維持するために神社に付属した民戸のこと」である。

今の神戸に生田神社の「神戸」があったことから名付けられた。

起源は、『日本書紀』崇神天皇7年11月8日(紀元前91年12月27日)条に初めて神戸・神地を定めたことにあり、早い時期からヤマト王権や豪族達によって保障された神社所属の部民があり、これが神戸の由来であったと考えられている。(Wikipedia―神戸)

「神社所属の部民」がいたこと。

つまり、神戸の起こりは、神社所属の民、つまり、聖書で言えばレビ族がいたことにある。

レビ族は、神殿における祭祀関係の仕事をするためにえり分けられた人々であった。

レビ族は、神殿に入る人々をチェックしていた。

神戸港では、四国に行く人々のチェックが行われてきた。

(2)

諏訪大社(モリヤ山)で行われるミサクチの行事において、犠牲の子供の代わりに殺されたのが鹿であった。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/096suwa.htm

聖書でイサクの代わりに殺されたのは山羊であったが。

日本では山羊の代わりとして鹿が用いられてきたのではないか。

天皇が大嘗祭で着る「鹿服」とは本当は「犠牲の山羊の服」なのかもしれない。

聖書において、犠牲の山羊は、イエス・キリストを象徴する。

だから、鹿服を着ることは、イエス・キリストと一体化することを象徴するのではないか。

大嘗祭は、死んで蘇り、天照大神と一体化することを象徴する儀式だから、鹿の服を着るのだろう。

これはまさしく、洗礼と聖餐というイエス・キリストとの契約的一体の儀式を想起させる。

ちなみに、後醍醐天皇は神道の奥義をマスターしていたが、それなるがゆえに真言密教の奥義をも早いペースで修めることができ、伝法灌頂を受けることができたそうだ。


大日如来と一体になる即身成仏の秘儀は、天皇になるために、天照大神と一体となる日嗣の儀式と極めてよく似たもので、この一つの形として「真床男衾之行法」がある。
http://f35.aaacafe.ne.jp/~shinri/koshindo.html

後醍醐天皇は、大嘗祭において、天照大神と一体化する儀式を行っており、それゆえ、空海が伝えた即身成仏の秘儀もすんなり理解できた。

大嘗祭も真言密教も同じキリスト教からきているから、似ているのだ。

契約的一体化こそ、キリスト教の本質である。

神が分けられた二つの異なる実体が一つになること。

神は人を男と女に分けて創造された。

その異なる実体が契約によって合一することこそ結婚の意味。

異なる個性を持つ個人個人が、信仰によってイエス・キリストの体である教会(エクレシア)に加えられること、これこそが、「救い」である。

天皇家の儀式は秦氏が伝え、真言密教の儀式は空海が伝えた。

しかし、空海自身、秦氏(佐伯氏)だった。

日本がキリスト教とは異質な文化であるという今日の常識は、改められなければならないだろう。

(3)

2008年に、四国旅行をしたときに、香川県でしばしば三角形の山を見かけた。

なぜ香川県だけこれだけこの形の山が多いのかと不思議だった。

もしかしてピラミッド?

ユダヤ人が四国にやってきた場合、ピラミッドを建造しても不思議ではないが…。

徳島県は、非常に古さを感じた。

苔むしたイメージがある。

非常に宗教的な雰囲気がある土地だと思った。

高知はひたすら明るいというイメージ。

南国という言葉が当てはまる。

愛媛は、情緒と落ち着きを感じた。

居住していたわけではないので、印象だけだから誤解があると思うが、四国は、県ごとに雰囲気が全然違うと感じた。

(4)

剣山のそばに栗枝渡八幡神社がある。くりしど神社、くりすど神社と読む。所在地は徳島県三好郡東祖谷山村栗枝渡。由来書によると、元は栗須渡神社だったという。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mkun/other/jjjj.htm

明らかに、キリスト教徒が建てた神社である。

この東祖谷という場所は、ものすごい山奥で、町から50qというので、「50qなら日が暮れるまでに帰れる」と思ってでかけたが、道が曲がりくねり、幅も1台分しかないので、時間がかかり、現地で一泊した。

現地の旅館では、ものすごい僻地であるのに、電波の状況がよく、東京への携帯の通話は非常にクリアだった。

昔の人々はこのような場所でどうやって暮らしたのだろうと思ったが、逆に信仰を保つためにあえてこのような陸の孤島にクリスチャンがやってきたのかもしれないとも考えた。

(5)

創造のときに、パンゲアは、中央に高い山があったのかもしれない。

そこからエデンに水が流れ、東の園に注いで、そこから4本の川が流れた。

四国も中央に剣山をはじめとする高い山々があり、東に徳島平野が広がり、吉野川が流れる。

エデンの園は入口が東にあった。

同じように、神戸から淡路島を通って東から徳島に入る。

四国そのものがエデンの園を模範として作られたのかもしれない。

 

 

2013年2月22日



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