ハデスと火の池の違い2
「死後そんな火の池などというひどい刑罰が待っているなんて考えられない」という人は、神を愚弄する人である。
なぜならば、神のひとり子であるイエス・キリストを十字架につけて犠牲にしたことを「無駄」と言うに等しいからである。
あなたの友人が仮に事業で失敗したとする。
100万円の大穴を開けてしまった。
あなたは、そのために身銭を切って代わりに払った。
もし友人があなたに感謝しなかったら、あなたに対して失礼を働いたことになる。
まして彼が「100万円なんて小さな失敗だよ」というならば、あなたを愚弄したことにならないだろうか。
神は100万円どころではなく、われわれのために自分のひとり子を犠牲にされた。
そこでもしわれわれが「われわれの罪などちっぽけなものだ。永遠の刑罰に値するはずもない」というならば、暗に「キリストを犠牲にするなんて無駄だ」と言うのに等しい。
キリストの十字架は、われわれの犯した罪の重さを示している。
それが永遠の刑罰に値することを示している。
だから、「火の池?そんな刑罰があるはずがない」ということは、神を愚弄する最悪の罪である。
2014年4月5日
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