神学を軽視する指導者についていくな


何事も理屈が大切である。

宗教になると理屈は関係ないという人がいるが、それは間違い。

通常の芸術家や教育者はそうではないが、一流の芸術家や教育者は、哲学を学んでいる。

思想的な背景がきちんとある。

大衆は、その思想的な背景を知らず、「常識で行動する」。

だから、大衆が動くまでの長い間、知らないうちに、思想的な革命が起き進行している。

しかし、社会の中で指導的な役割を帯びて生まれてきた人々は、思想に関心を持つので、人々が常識で生きている間、その最先端の思想的革命を学び、それを取り込もうとする。

だから、大衆に合わせて「思想なんて関係ない」とか「神学なんて関係ない」というような発言をしている人々は、単なる人気取りでしかない。

ヒューマニズム思想を作り出してきた人々は、非常に厳密に問題をとらえた。

人は何を知ることができるのか。

認識論を重視する。

近代西洋哲学史を踏まえないと、サタンのキリスト教への攻撃の方法がわからないので、的外れなことをやって無駄な活動を延々と続けることになる。

日本語で書かれた本は、どれも本質を外して些末な知識に溺れるか、もしくは難解すぎて意味がないものが多いが、小阪修平という人の著書は、問題の核心をついていて非常にためになる。

『イラスト西洋哲学史(上)』 (宝島社文庫)

http://urx2.nu/fjME

デカルト、ロックからカントまでの流れが基本である。

ヒューマニズムの成立過程を勉強したいなら、小阪氏の本がいいと思う。

ノンクリスチャンの思想は、カントにおいて絶頂に達した。

それ以降の哲学者は、カントがまとめあげた世界観の展開でしかない。

大筋において、「世界から神を追い出す」というカントのテーマで一貫している。

カントは「なぜ人間は聖書なしでやっていかなければならないのか」の理由を厳密に示した。

神抜きの世界観を完成した。

ノンクリスチャン側でカントがやったことを、クリスチャン側ではヴァン・ティルがやった。

聖書を認識の出発点にすべきだと説いた。

ヴァン・ティルを学ばない限り、キリスト教はノンクリスチャンの思想に対抗できない。

ヴァン・ティルの批判者たちは、「聖書を最終権威にする必要はない」「聖書も評価できる」と唱えた。

ドーイウェールトも同じである。

ドーイウェールトは、ヒューマニズムの問題をよく理解していたにもかかわらず、聖書信仰にいたらず、そのため、その弟子たちは、聖書啓示から独立してものを考えている。だから、中世のスコラ学のように、「針の上に天使が何人立てるか」のような不毛な議論に陥った。

残念ながら、日本においてキリスト教の指導者はドーイウェールトのほうに行った。

本当にヴァン・ティルに向かった人はいなかった。

ヴァン・ティルの本当の価値を見出すことができた人はおそらく一人もいない。

ヴァン・ティルが本当に理解できれば、ラッシュドゥーニーやグレッグ・バーンセンのすごさがわかるはずだ。

ヴァン・ティルの前提主義に対して否定的であれば、当然、聖書信仰から離れるので、迷走する。

だから、ヴァン・ティルを理解できなかった福音派は、フラー神学校のような「外面はクリスチャン、思想的にはノンクリスチャン」の学校の影響を受けた。

フラー神学校から始まった各種の運動は、聖書による厳密な精査を受けていないので、サタンの神秘思想であるニューエイジ思想が多く入っている。

福音派だけではなく、カルヴァン主義の中にはバルト神学が入った。

バルトは「福音派の仮面をつけたヒューマニズム」である。

用語や思想の外面では、福音派と同じように見えるし、実際に聖書信仰のふりをするのだが、実質は違う。

この巧妙なだましにやられた。

教会は、これらの「光の天使に偽装した悪魔」に騙されてきた。

神学なんていらない、みたいな解決法は、さらに事態を悪化させる。

もぐりの医者にさんざんひどい目にあった人が、「医学なんて学んでも無駄だ」と言っているようなものである。

医学そのものを批判するのはお門違い。

医学は医学で厳然として、真理を追究している。

どの分野でも学問を軽視する人を信用してはならない。

その人は、自分の意見を通すために人々を煙に巻いているだけ。

キリスト教の正しい流れを教えてくれるところは、残念ながら日本にはない。

私が知る限りでは、唯一核心に迫ったのが改革派の渡辺公平先生である。

ただ、残念ながら先生はのちに立場を変えてしまった。

ラッシュドゥーニー、グレッグ・バーンセン、ゲイリー・ノースにたどり着いた人はいなかった。

サタンは、ヴァン・ティルを非常に迫害した。

同じようにヴァン・ティルに行こうとすると大きな迫害がある。

ヴァン・ティルだけならまだ序の口である。

サタンが真に恐れるのは、その次だ。

つまり、律法(セオノミー)である。

セオノミーに基づく世界観を作られると、もはや滅亡しかなくなるので、サタンはセオノミーに行き着いた人を総攻撃する。

だから影響力を抑え込むために、ミレニアムに接触する人々も攻撃を受ける。

「かかわると怖い」みたいな感情を起こさせようとする。

私を追い出した人々は、文字通り「殿、ご乱心を」の対応をした。

こちらは厳密に論を組み立ててきた。

そのために膨大な時間とエネルギーを使った。

気まぐれに何かを思いついたまま述べているわけではない。

熟慮に熟慮を重ねている。

だから、単なる流行の一つではない。

固い岩盤にのっているからびくともしない。

学問的にしっかりとした土台を作ることを避けるような指導者について行ってはならないのだ。

若い人は、ぜひ英語を猛勉強して、ヴァン・ティル、ラッシュドゥーニーやゲイリー・ノース、グレッグ・バーンセン、デイビッド・チルトン、レイ・サットンらの著書を読んでほしい。

安易な流行を追うことに人生の貴重な時間を使うのではなく、これらのしっかりした書物を読んで実力をつけてほしい。

 

 

2014年12月17日



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