紀元70年頃に携挙された人々は救いの「初穂」だった2


携挙は、文字通り起きた。

テサロニケのクリスチャンたちは、紀元70年頃に携挙された。

そして、その他のクリスチャンも携挙されたかもしれない。

しかし、それについては、聖書は沈黙している。

携挙されなかったクリスチャンもいた。

なぜ携挙されなかったのか。

それは、「2級クリスチャンだったから」ではない。

クリスチャンの間に、1級も2級もない。

すべてのクリスチャンは、キリストにあって、聖人であり、完全に聖いので、全員が携挙されるに値する。

しかし、神は、あるクリスチャンを残し、彼らに使徒の信仰を継承させられた。

全員が携挙されたら、福音を伝える者がいなくなってしまう。

歴史を見れば、使徒の信仰は継承され、クリスチャンたちによって世界中に伝えられたことがわかる。

エルサレムにいたクリスチャンたち、つまり、エルサレム教団は、紀元70年のローマ軍による包囲から逃れて、ペラという町に移動した。

すでに述べたように、私は、彼らが日本にやってきたと考えている。

早大教授佐伯好郎氏とその弟子である東大名誉教授の江上波夫氏は、原始キリスト教徒の集団が日本にやってきたと述べている。

江上波夫氏は、来日の時期を紀元2世紀と言った。

どのような証拠からこのことを述べたのかわからないが、歴史学者が軽々にこのような言葉を発するはずはないので、何らかの事実があるのだろう。

紀元2世紀と言えば、紀元70年からそれほど時間差はない。

これは、彼らが日本に向かって直行したとの推測を可能にする。

彼らは、最初から日本を目指して出発したのだろう。

では、エルサレム教団のユダヤ人クリスチャンたちは、なぜ日本列島を目標にしたのか。

私は、当時の日本列島にすでにユダヤ人が国を作っていたからだと考える。

このHPで何度も述べているように、紀元前3世紀に来日した徐福はユダヤ人と思われる。

彼は秦の始皇帝と同族であり、始皇帝の統治方法は、ペルシャのそれと酷似していた。

ペルシャには捕囚のユダヤ人がたくさんいた。

おそらく、捕囚から解放された人々が東に移動して秦を建国したのだろう。

徐福を祖とする物部氏の宗教は、聖書的ユダヤ教とそっくりである。

それは、物部氏の神社である籠神社と真名井神社を見れば一目瞭然である。

籠神社の宝物の一つは、ずばり「マナの壺」である。

同神社の神主は「このご祭神はユダヤの神だ」と述べた。

徐福は、日本にユダヤ王国を作ったと推測する。

エルサレム教団の人々は、すでにユダヤ人の国がある日本を目指して移動したのだろう。

すでに何度も述べたように、彼らは「栄光のイスラエル」を回復しようとした。

それは、皇室の紋章が「獅子と一角獣」であることからわかる。

獅子は南朝イスラエルの象徴であり、一角獣は北朝イスラエルの象徴である。

イエスが弟子たちに約束された「イスラエルの再興」は日本において成就した。


そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。(使徒の働き1・6-7)

イスラエルの再興という点から見ても、携挙が全員に及んだと考えることはできないのである。

全員が天に挙げられたならば、再興は不可能になる。

大和王朝の本質とは、再興されたイスラエルなのである。

今のシオニズムがなぜ悪魔的かというと、真のメシアであるキリストが王となっている日本を否定するからである。

ロスチャイルドがシオニズムを通じて作ろうとしているイスラエルは、ルシファーの国であり、それゆえ、現在のイスラエルにとって日本はライバルなのである。

今世界中のクリスチャンが騙されているディスペンセーショナリズムのプレ・ミレは、ロスチャイルドのイスラエルを支援するものであり、それゆえ、このようなキリスト教が繁栄することはありえない。

真のクリスチャンは、日本を支援する。

今は隠されている「日本という国の意味」はいずれ明らかになるだろう。

 

 

2018年3月30日



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