禁煙運動の起源は国家崇拝にある


大説教家として福音派でも名高いC・H・スポルジョンは、愛煙家で、ポスト・ミレだった。

残念ながら、福音派が発行する説教集からポスト・ミレの箇所は排除されている。

失われたポスト・ミレの説教は、スポルジョン全説教集がCDで出ているので、それを見るしかない。

http://www.kingsleypress.com/the-c-h-spurgeon-collection-cd.html

嫌煙とポスト・ミレの排除は、関係がある。

アメリカで嫌煙運動が現れたのは、アメリカ人から個人の自己責任の感覚を奪い、国家や他のものに責任を転嫁する時期と一致している。


アメリカで、禁煙感情の高まりと、社会において、個人が責任を負うことを止め、真の責任者以外の誰かに責任をかぶせるようになった時期とが一致している。

個人が責任を捨てたのと並んで、「啓蒙された」アメリカ人は、理性と真理を捨て、自分の生活の管理を、権力に飢えた政治家・法律家・裁判官・いんちき健康家の集合体に明け渡してしまった。
http://www.smokingaloud.com/

世界で最初に禁煙を命じたのは、ナチスであり、すべてのドイツの大学・郵便局・軍病院・ナチス党事務所において禁煙を強制した。

これを後援したのが、カール・アステル博士の煙害研究所であり、この研究所は、ヒトラー自身が直接指示して1941年に作らせたものである。

ナチスは、1945年に滅亡するまで、禁煙キャンペーンを大々的に繰り広げた。

ヒトラーは、演説会場に登場する際に飛行機に乗ってやってきた。メシアを演じるためだ。

国家崇拝と、禁煙は密接に関係している。

ナチス第3帝国は、ドイツ人に対してこう述べた。

「食物は個人の問題ではない。あなたは健康になる義務がある」と。
http://offsettingbehaviour.blogspot.jp/2013/08/creighton-on-individual-choice.html

ヒトラーは、ブッシュ家やロックフェラー家から支援されていたイルミナティの傀儡である。

今日のアメリカの禁煙運動も、「国民に健康になることを要求する救い主なる国家」思想から出ている。

食物は、個人の問題である。

国家は、個人に健康になることを命令する権限がない。

国家の財政破たんは、増大する国民の福祉への配慮から生まれている。

国家が個人の健康問題に介入すると、次は教育である。

ヒトラーは、子供を独占しようとした。

教育を支配し、彼の人種差別観を子供に植えつけようとした。

同じように、アメリカの子供たちは、公立学校を通じて、ブッシュやロックフェラーの所有物になりつつある。

キリスト教が今日のように禁煙を教義の一部にしてしまったのは、個人の問題に介入しようとする国家主義に汚染されたからだ。

聖書では、「すべて作られたものは良いものであり、捨てるべきものは一つもない」「感謝して受けるならばすべて聖い」と教えられている。

被造物そのものは、善である。

ポスト・ミレにおいて、現在の世界はキリストの王国である。

メシアは、キリストお一人であり、国家は救い主になれない。

国家は、キリストのもとにおいて正義のために存在する一機関に過ぎない。

この一機関による自己神化の運動に教会が巻き込まれたのは、イエスを王として認識することに失敗したからだ。

 

 

2014年11月22日



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