裏金とかもらうより真面目に生きたほうが得である
(1)
仙波敏郎という元警察官がいる。現役のときに、警察内部の裏金問題を内部告発した。
報復人事で左遷。
勇気のある人だ。
彼によると、警察官は新人のときに日本の治安と秩序を維持するという使命感に燃えているという。
しかし、その後、踏み絵が待っている。偽の領収証を書かされるのだ。
何度もやっているうちに良心の咎めがなくなってくる。
そうやって、純真な警察官が堕落し、犯罪を取り締まる者が自ら犯罪者になる。
警察署は、大きな事件が起きることを望んでいるという。
http://www.youtube.com/watch?v=lb8OAGnZ7Jo
なぜならば、捜査費が下りてくるからだ。
捜査費のうち半分は県警捜査一課に猫糞される。
その残りから署長と副署長、各課長が抜く。
また、捜査協力費等という架空の費用を作ることができる。
これは、全国で165億円あるという。
すべてに領収証がいるから、末端に至るまで全員が架空領収証を作る。
おそらくこういうようなことは、他の公的組織でも行われているのだろう。
末端の仕事をするわれわれが手にするお金は、予算として組まれた金額のおそらく10分の1くらいだろう。
あとは、組織に抜かれてしまうのだろう。
しかし、私は驚かない。
有史以来、人間はこのようなものだ。
全体が堕落の極みに達すると、神の裁きが下る。
神が残されたレムナントが、再建を始める。
またその組織が堕落する。
すると、また裁きが下る。
レムナントが再建を始める。
世の常である。
(2)
この犯罪のゆえに警察組織そのものを捨てることができるだろうか。
ノーだ。
警察は、われわれのために熱心に働いてくれている。
日本の治安がよいのは、警察が優秀なおかげだ。
神の国を「純粋な者の集合体」と考えるのは間違いだ。
人間には、罪が常につきまとう。
人為的に完全に聖めても無理がある。
われわれの体には、ばい菌と共存するように免疫のシステムがある。
もともと神が作られた世界は、対立する悪を前提としている。
(3)
阿久根元市長竹原氏は、以前TVだけしか情報源がなかった時代に、印象が悪かった。
しかし、ユーチューブやツイッターで接する限り、ごくまともな、良心的な人である。
市長選挙においてマスコミが印象操作をしていたことがわかる。
しかし、われわれ神を恐れるクリスチャンは、自分も含めて、罪を犯す人は愚か者だと思う。
なぜならば、体験的に神が存在し、悪を裁かれる方だと知っているから。
罪は、必ず自分に返ってくる。
どんなにうまくごまかしても、必ず返ってくる。
この世界が偶然の積み重ねで成立しているのではなく、裁く神がおられ、一つ一つの行動をすべて見ておられる以上、われわれが罪を犯してそのままで済むなどということを期待することは不可能だ。
市長選挙で、マスコミが対立候補陣営に協力してそこから裏金をもらったとしても、マスコミの本分である「真理を伝える」という使命に違反したのだから、決定的な汚点を残した。
これは、存在意義にかかわる問題だから、マスコミは、それによって重大な結果を刈り取る。つまり、倒産だ。
裏金などという端金をもらうよりも、真実を追求して妥協せず貫けば、社会の信頼を獲得でき読者も増えるだろうから、長い目で見て、はるかに利益は大きい。
日本民族の本質は、このような長期的に見るというところにある。
裏金を作ったり、もらったり、そんなくだらない民族ではないはずだ。
神の裁きは近い。
必ず神は裁かれる。
だから、われわれは自分の身を慎んで毎日神を恐れて生活しよう。
2012年5月27日
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