永遠に赦されない罪


罪でも赦されるものと、永遠に赦されないものとがある。

永遠の赦されないものの代表が、聖霊の活動を悪霊のそれと呼ぶことである。

「自称牧師」という言い方が流行しているようだが、これは恐ろしい名称である。

按手礼を受けた牧師や伝道師を「自称牧師」「自称伝道師」と呼ぶことは、その活動は「聖霊による本当の活動ではない」と言っていることだ。

もちろん、その牧師が聖書の教えに反することを教え、行っているならば、「それは間違いだ」と呼ぶことができる。

たとえば、ビリー・グラハムが「イエス・キリストなしでも人は神の民になれる」といったことを異端と呼ぶことは間違いではない。

レフト・ビハインドの著者ティム・ラヘイが統一協会から金をもらったと批判され、それに対して反論も何もしないで無視しているならば、そのように評価されても仕方がない。

しかし、いかなる形であれ、伝道の活動をし、神の国の拡大のために働いている人を偽者呼ばわりすることは、聖霊に対する冒涜である。

神の名を侮辱しても「悔い改めるならば」赦される。イエス・キリストの名を冒涜しても「悔い改めるならば」赦される。

しかし、聖霊の名を穢す者は絶対に赦されない。

イエスは、ご自身の活動を「悪霊によって悪霊を追い出している」といい、イエスが「悪霊にとりつかれている」と述べた人々に向かって、「あなたがたの言葉はこの世においても後の世においても絶対に赦されない」と宣言された。


まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。
しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。
このように言われたのは、彼らが、「イエスは、汚れた霊につかれている。」と言っていたからである。
」(マルコ3・28-30)

「自称○○」などと軽々しく言ってはならない。

その時点で、永遠の刑罰が決定してしまうから。

 

 

2011年2月26日

 

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