人間教の枠内に留まる限り問題は解決しない3


宗教改革では神の法(セオノミー)が唱えられたが、ローマ・カトリックはギリシア由来の自然法を唱えていた。

そして、現在、プロテスタント各教派が、イエズス会が送り込んだエージェントを通じてローマ・カトリック化しているので、自然法が復活しようとしている。

私は、このローマ・カトリック化したプロテスタントの教会において、「神の法」を唱えたために、実質、除名された。

今のプロテスタントの教会は「自然法で何が悪い?神の法を社会に適用しようなどという君の考えは危険だ」と言う。

自然法の思想の基盤は「自然秩序」である。

神の法のそれは「神の創造秩序」である。

聖書は「神が世界を創造されたので、神の法は絶対である」と教える。

ギリシア思想及びローマ・カトリックは、「神の創造の前にすでに自然が存在した。それゆえ、神の法は絶対ではない」と教える。

自然秩序を、神の創造の上位に置くのが、ギリシア思想及びローマ・カトリックである。

ローマ・カトリックによれば、教皇は、この自然秩序に関する権威であり、それゆえ聖書よりも権威があるという。

なぜローマ・カトリックが異端であり、キリスト教でないかご理解いただけただろうか。

ただの人間に過ぎない教皇を、神の啓示の上に置くので、教皇教と呼んだほうがいい。

プロテスタントは、アルミニウス主義とディスペンセーション主義、自由主義神学(リベラル)を通じてこの教皇教の中に取り込まれてきた。

今日、宗教改革陣営は瀕死の状態にある。

真のキリスト教を取り戻すには、第2の宗教改革が必要である。

口火を切ったが、ヴァン・ティルである。

ローマ・カトリックが、人間理性に対する信頼に基づいているのに対して、ヴァン・ティルは宗教改革の教えを守り、人間理性に信頼を置かない。

人間は全的に堕落しており、理性すらも罪によって汚染されていると。

それゆえ、人間が正しい知識を得るには、次の2つが必要であると。


1.聖書による外的啓示

2.聖霊による内的啓示

人間には、神からの啓示が必要である。それだけではなく、生まれ変わって、聖霊を受け、その解き明かしを必要とする。

聖書を理解するには、聖霊が内側からわれわれにその教えを理解させてくださることが必要である。

この2つによらない限り、人間は正しく世界を理解することはできず、サタンの欺きから解放されない。

理性に信頼しているローマ・カトリックが、今どういう状態になっているだろうか。

世界政府のために活動している。

イルミナティといっしょになって、ルシファーによる世界統一を目指している。

イエズス会によって騙されているプロテスタントも同じようにこの運動に参加しつつある。

人間理性に対する信頼を捨てない限り、ダメである。

「科学に関しては、聖書がなくても、聖霊が内住されなくても、やっていける」と叫ぶことをやめるべきだ。

聖書と聖霊による啓示は、あらゆる知的活動の前提である。

世俗科学が何を発見したとしても、世界は六日で創造されたと主張しよう。

「いや、科学的に証明されないと信じない」という人は、神を捨てている。

知的領域においても、神は主権者である。

世俗社会もローマ・カトリックもプロテスタントも、人間理性の自律を信じたために、イルミナティの世界政府の中に取り込まれつつある。

自然に存在するものは、ことごとく堕落の影響の中にある。

だから、自然法も自然理性も頼りにならない。

ここから出発しよう。

 

 

2018年6月7日



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