契約と寿命


学生時代の友人らがだんだん病気に冒され、中には亡くなる者もいる。

みんな40代まではぴんぴんしていたのに。

昔は平均寿命が50歳。戦国武将も50代で亡くなっている。

カルヴァンは55歳。

医療が未発達な時代に、人の体は本来、だいたい50年で寿命が来るようにできているようだ。

それでも本来定められた寿命が120歳なので、いかに洪水後、呪いが続いてきたかということだ。


そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう」と仰せられた。(創世記6・3)

本来、堕落以前に、おそらく人間の体は千才以上生きるように作られていたのだろう。

しかも、その体は死ぬのではなく、血肉ではないからだ、御霊の体に代わるようにできていたのだろう。

なぜ千才かというと、堕落後、洪水前の寿命が千才未満だからだ。

アダムは全部で九百三十年生きた。こうして彼は死んだ。(創世記5・5)
メトシェラの一生は九百六十九年であった。こうして彼は死んだ。(創世記5・27)

最長寿のメトシェラですら969歳。

神は千年に達することを許されなかった。

堕落がなければ、千年以上続くはずであった統治能力をそれ未満に制限された。

アダムが堕落しなかった場合、アダムとエバから生まれた子供たちも千年以上生きただろう。

寿命が長い分、生殖能力がものすごいので、あっという間に地球に人が満ちて、いたるところにおいて神の国が確立されただろう。

人類は、神の国となった地球を神に献上し、神の創造が完成しただろう。

その報酬として、人類も全宇宙も栄光体に代わり、永遠に滅びることのないからだに変化しただろう。

堕落したために、神は、人間の寿命に限界を設定された。

限界は、寿命だけにとどまらない。

初期の人類の体はかなり大きかったようだ。

少なくとも2メートル50pくらいはあっただろう。

恐竜や植物の化石を見てもわかるとおり、世界の創造時には、祝福が大きかったのでなにもかも大きかった。

アウグスチヌスは、その著『神の国』において、洪水前の人間の体が我々よりもはるかに大きかったと述べている。

「物事を慎重に判断する者は、カインが建てたのはただの町ではなく、大きな都であったことを疑い得ないであろう。そのころは人間の一生は今よりも長かった。もっとも、不可知論者がこれら族長たちが生きた年数についての聖書の権威を疑問に付し、それを信ずることを拒否すれば話は別である。そう言う者は恐らく族長たちの身体が、今日のわたしたちのよりも、はるかに大きかったことも否定するであろう。しかし有名な詩人のヴェルギリウスは、境界線にしるしとして置かれ、このころのある勇士が戦いに際してこれをかつぎ上げ、走って行って敵をめがけて投げつけた石についての話を記している。『しかし、今日のわれわれの身体の大きさでは、十二人の屈強の強者でさえも、この石を肩に持ち上げることはできまい』(アエネイス12・900)ヴェルギリウスが言わんとしたことは、昔の人の身体は今よりも大きかったということである。そうであるならば、かの大洪水の前、世界が始まったばかりのころには、もっと大きかったことであろう。このころの人体の大きさについて、昔の墓が年月が経ち、また洪水やその他の原因によって地表に現われ、そこに見出される死者の骨がほとんど信じられないほどに大きいことからも、多くの懐疑論者すらも疑い得ないことである。…すぐれた学者であった大プリニウスは、時代が経つにつれてわたしたちの身体は小さくなるだろうと述べている。彼の指摘するところによれば、ホメロスはその詩の中でこの種の退化を嘆いている。プリニウスはそれを詩人ホメロスの虚構として一笑に付することなく、自然の驚異談の記録者としてのホメロスの性格にかんがみて、歴史的信憑性があると主張している。…同じプリニウスは今日でも人々が二百歳まで生きる国があると言っている。わたしたち自身が体験しないほど長生きをする人々の国が、たとえわたしたちが知らない所にであっても存在することを信ずるとすれば、はるか昔にも存在したことをどうして信じられないだろうか。このところでは存在しない何事かが他の所では存在すると信じられるとすれば、今日では生起しないことでも、はるか昔には起こったことをどうして信じられないだろうか。」(アウグスチヌス著『神の国』出村彰訳、日本基督教団出版局、1977年、338〜340ページ)

知的能力も高かったに違いない。

アダムは神が連れてこられた動物たちに名前をつけた。

名前をつける行為は、その本質的特徴をとらえることであるから、膨大な数の動物に名前を付ける作業を行えたのは知的レベルの高さを示すだろう。

今でも、人間の脳の本来の優秀性を示す人々がいる。

たとえば、サヴァン症候群である。

知的障害のある者のうち、ごく特定の分野に限って、優れた能力を発揮する者の症状で、瞬間的に任意のカレンダー日の曜日を言い当てる人や、一度見た景色を完全に記憶して、絵で再現する人などである。

私の親戚が、ある人から自宅に預かっていた知的障害を持つ子供(といっても、私が会った当時は成人だった)は、過去の相撲の番付を完璧に記憶していた。

このように、本来人間が持っていただろう、堕落以前の能力がこういう人々に特異的に残っているのかもしれない。

神は、人間に対して地球を管理させ、その上に神的文明を建設させることを計画された。

しかし、人間が堕落したため、それがとん挫し、結局、神に逆らうことをやり始めたので、能力と寿命を縮めて、自由をはく奪された。

イエス・キリストにおいて、人類は再び堕落以前の状態に回帰する道が開けた。

だから、本来の教えに立ち、いかなるサタン的影響からも解放され、神に逆らう部分が徐々に取れていけば、それだけ、もともと持っていた能力や寿命は回復されるはずだ。

モーセは120歳まで生きたので、神が洪水後に設定された寿命を最大限生きた。

モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。(申命記34・7)

われわれも、正しい教えと行動によって呪いを次々と克服すれば、モーセのように平均120歳の社会ができるだろう。

しかも、死ぬ時まで元気と健康が続くだろう。

 

 

2013年3月9日



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