われわれは命のために活動すべきである


1.

性格分析をすると、私の適性職業は哲学者や思想家で、一番就いてはならないのは経理や会計の仕事である。

私は、資金に余裕があればだれか経理をやってくれる人を雇いたい。

税金とかそういう事柄について担当者に任せたい。

セレモニーも苦手なので、儀式にかかわることから離れたい。

組織の中で活動することも向かない。

もちろん、方法論が確立されており、それをこなすことはできるが、自分でそれを作っていこうとは思わない。

牧師になる人は、これらをこなすことができるのだろうが、私にはできない。

昔は無理にでもなりきるべきだと思っていたが、いろいろと仕事をやってみて体験的に、周囲の人に迷惑をかけることになるとわかったのであきらめた。

2.

アインシュタインが靴下をはかずに革靴をはいている写真がある。

科学者や思想家には、自分の仕事に没頭すると、現実との折り合いがつかなくなる傾向がある。

牧師もしていたヴァン・ティルは、本当に敬服に値する。

3.

昔、ある会社で通訳をし、境港や石狩港に入るロシア船に乗り込んで船長との交渉を仲介した。

船員たちは、小さな船でカニを取る。

長い間風呂に入らないため、船内は非常に臭かった。

通訳と翻訳はまったく違う仕事である。

私にはいろんなところに行かなければならない通訳の仕事はやりたくない。

本を読むための自由な時間を使える仕事として翻訳は許容範囲にある。

4.

プログラミングの仕事は向いていると思うが、まだまだプロになるだけの実力がない。

独学で技術を習得し、相当時間をかけたが、ものになるにはまだ時間がかかると思う。

プログラミングは、コンピュータ言語を習得する必要がある。

語学は昔から得意だったので、この仕事は自分に向いている。

5.

先日、ある人が相談にのってほしいというので荻窪で会ったが、結局、人と会う場合、たとえ1時間でも、その前後に準備や移動の時間を取られるので、半日を犠牲にしなければならない。

昔は苦にならなかったが、今はできるだけ避けたい。

自分の使命は、世界観の再編にあると思っている。

ヒューマニズムによって作られた今の世界観を聖書的なそれに変えるために全時間を使いたい。

6.

それぞれがそれぞれに適性がある。

神はわれわれを全能者として創造されなかった。

世界を分業によって成立させ給う。

だから、聖書は、なにもかもできなければならないとは教えていない。

各自、神が割り当てられた自分の分を果たすしかできない。

7.


イエスは別の人に、こう言われた。「わたしについて来なさい。」しかしその人は言った。「まず行って、私の父を葬ることを許してください。」
すると彼に言われた。「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」(ルカ9・59-60)

「神の国を言い広め」ることは、肉親の葬儀にすら優先される。

世の人々からは、非常識と言われるだろう。

しかし、われわれの人生は「常識的と言われる」ためにあるのではない。

神のために動いていない世界は死の世界である。

死の世界でいくら常識的と評価されても、しょせん、死ぬのである。

われわれは命のために活動すべきである。

 

 

2017年5月14日



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