神も科学で証明できる?
戦後の偏った教育を受けると、科学の認識の限界を知らない。
なんでもかんでも科学で証明できると考えている。
この根底には、人間が最高権威であるという前提がある。
「神がいるなら証明せよ」という。
これは、オーディションの会場に神を呼んで踊ったり歌ったりさせるようなもので、そのようなオーディションに神がやってくると考えている時点で神を誤解している。
もし本物の神がいて、人間を創造したということならば、主権者であるわけだから、神は絶対にオーディションに来ない。
それは、主権性を捨てることだから。
人間は、創造者、主権者に対しては、服従する以外に方法はない。
ということは、自分から神のところに出向いて審査してもらう以外ない。
自分が、神が主催するオーディションに行って、踊ったり歌ったりして、気に入ってもらうしかない。
神と人間の立場が逆転している。
これがヒューマニズムというものだ。
これはカントに始まった。
カントは科学の限界を自覚し、「神の世界、霊的世界、死後の世界、意味の世界は科学では知りえない」と考えた。
しかし、「じゃあ、知ることをあきらめよう」と彼は言わなかった。その代り、
「じゃあ、自分たちで宗教を作ればいいじゃないか」と言った。
「人間にとって意味があるものだけが意味があるとしよう」といった。
このように、人間があたかも創造者であるかのようになったのが今日の世界の思想である。
このヒューマニズム思想に立って世界は成り立っている。
しかし、実際の世界は人間が創造したものではないから、いろんな問題が起きる。
こじつけが生まれた。
これは一種の洗脳であり、それゆえ、今の教育を受けている人は洗脳されている。
「人間の、人間による、人間のための」教えで世界を解釈しようとするから無理がある。
これまではごまかしてきたが、もはや限界に達しつつある。
私は、世界を神が創造されたものと理解するほうが、ずっと合理的に解釈できると考えている。
残念なことに、われわれが子供のころの宗教に対する意識と今の、20-30代の人々のそれとは大きく違う。
オウムの事件は宗教に対する偏見を植え付けるきっかけとなった。
きわめて残念なことといわねばならない。
2011年3月15日
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