(1)
「イエスは律法に反対していた。イエスは律法にこだわるな」と言われたと勘違いしているクリスチャンが多い。
これは、ディスペンセーショナリズムに影響されたからである。
イエスは「律法と預言者を廃棄するために来たのではない」と明言されている以上、「律法にこだわるな」と言うはずがない。
言ったとするなら、どこで言ったか示してほしい。
パリサイ人たちに対してイエスが間違っていると指摘したのは、「言い伝えを守って律法を捨てている」ということである。
あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。(マルコ7・8)
律法ではなく、「言い伝え」を批判している。
この「言い伝え」とはミシュナーと言って、バビロン捕囚の時代にバビロン人の影響を受けたユダヤ人が伝えてきた口伝の規則である。
これがのちに成文化して、タルムードになった。
だから、タルムードはバビロン起源なのだ。
律法は神の教えであり、タルムードは悪魔の教え。
イエスは律法を奨励された。
だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。
まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。(マタイ5・19-20)
パウロは、信仰は律法を確立すると述べた。
それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、律法を確立することになるのです。(ローマ3・31)
ディスペンセーショナリズムは、「今は律法の時代ではない」と説く無律法主義であり、非聖書的、異端の教えである。
(2)
ディスペンセーショナリズムを創始したマヌエル(またはインマヌエル)・ラクンザは、イエズス会士であった。
ラクンザの本La venida del Mesías en gloria y majestad(栄光と威厳のあるメシアの来臨)は、スペインで禁書になったが、1816年にロンドンで出版された。
カソリック使徒教会の創設者エドワード・アーヴィングは、本書を英訳するためにだけカスティリア語を勉強した。1827年2巻から成る翻訳本を『メシアの来臨』というタイトルで出版した。
ラクンザの未来派の預言解釈は、過去派であった当時のプロテスタントのそれと異なっていた。
未来派とは「黙示録やダニエル書など預言書の記事を、未来において、文字通り、物理的に終末において世界に起こる出来事と解釈する立場」である。
過去派(プレテリズム)とは、「それを過去の出来事として、象徴的・歴史的文脈の中でとらえる」かもしくは「現在において文字通りではなく、霊的な文脈で起きるととらえる」。(Wikipedia―Futurism (Christianity))
アーヴィングを通じてラクンザの聖書解釈は、イギリスのプレ・ミレニアム主義に大きな影響を与え、未来派ディスペンセーショナリズムに発展した。(Wikipedia――Manuel Lacunza)
ディスペンセーショナリズムを世界的に広めたプリマス・ブレズレンのジョン・ダービーも、その一人だった。
ラクンザ→アーヴィング→ダービー。
イエズス会の思想は、このようにして世界中のクリスチャンに伝播した。
(3)
イエズス会は、グノーシスの秘密結社アランブラドスの会員であったイグナチウス・デ・ロヨラによって創設された。
『ユダヤ百科事典』によると、グノーシスは、もともとユダヤ神秘思想に由来する。
(グノーシス主義)は、キリスト教になるはるか以前に、ユダヤの思想であった。それは、ユダヤ神秘主義と密接なつながりのある運動である。
著名なフリーメイソンのJ・M・レイゴンによると、
カバラは、オカルト科学の中心である。グノーシスは、カバリストから生まれた。
イエズス会は、もとはと言えば、ユダヤ神秘主義なのである。
そして、このユダヤ神秘主義の起源は、すでに述べたように、バビロン捕囚においてバビロンの神秘思想にある。
このようにして、今のクリスチャンたちは、知らずにイエスの教えとはまったく敵対する思想に汚染されているのである。