資本構築と資本破壊 by R・J・ラッシュドゥーニー
インフレの渦中にいるわれわれが、インフレの影響について理解することは重要である。
インフレの主な影響のひとつは、資本の破壊decapitalizationである。
decapitalizationとは、資本が徐々に破壊され、その結果、社会の生産力がしだいに失われることを意味する。
資本の構築は、仕事と倹約による蓄財であり、資本の破壊は、蓄積された富の散逸である。
資本の構築なくして、自由経済や資本主義は成り立たない。
潜在的にもっとも裕福な農業国のいくつかは、ベネズエラとチリなどの農産物の輸入国である。
南アメリカの太平洋沖は、世界に知られているもっとも豊かな漁場の一つであり、当該地域の国々を養うだけの豊かな水産資源を有する。
チリの漁師たちは、捕獲した魚を市場に運ぶための保管庫や輸送機関を持たず、適正に魚を売ることができないため、驚くほど大量の捕獲物を海洋投棄している。
労働力や漁獲物の取引場に不足はないが、労働力や生産物、市場を互いに結びつける施設の整備に必要な資本がない。
世界の多くの国々が同じ問題をかかえている。
すなわち、労働、天然資源、生産物を求めるマーケットはあるが、商品を流通させるために必要な資本がないのである。
社会主義は、問題解決への意志を持ちつつも、関係者全員を貧困に落とすため、状況を悪化させるだけである。
社会主義とインフレのいずれも同じ目的―すなわち、資本の破壊―を持ち、それを達成する。
資本の構築とは何か
資本の構築は仕事と倹約、蓄財、および蓄財の賢明な利用によって実現する。
蓄えられた財産は、天然資源の開発と商品と農産物の販売に利用できるので、発展に向けて効果的に投資される。
貯金や蓄財、資本の構築をもたらす倹約は、高潔な人格の産物である。
未来の目標のために、富を蓄積し、現在の楽しみを差し控えるピューリタン精神が支配したどの時代においても、資本の構築が進んだ。
すぐれた人格がなければ、資本が構築されることはなく、むしろその破壊と富のたえざる枯渇化が起きる。
結果として、資本主義とは、キリスト教、特にピューリタニズムが生み出した最高の産物であり、他のあらゆる宗教にまさって、資本の構築を可能にしてきた。
資本破壊の必要条件
これは、「社会主義によるにせよ、インフレによるにせよ、資本の破壊が起きる前には、必ず信仰と人品の崩壊が起きる」ということを意味する。
社会主義とインフレが始まる以前に、すでにアメリカは歴史的なキリスト教を捨てていた。
アメリカ人は、資本を蓄積するよりも浪費することに価値を置くようになっていた。
家族や信仰、人徳を磨くという永遠の価値を持つ楽しみよりも、表面的な楽しみにふけることを選択した。
人々に盗みの心があれば、インフレは成功する。
同じことは、社会主義にもあてはまる。
社会主義は組織的な窃盗である。
インフレのように、持たざる者に与えるために持てる者から取る。
資本の破壊は、進歩の破壊であり、社会の崩壊である。
資本の構築によって産み出された物が消耗し始めても、それを補充するための資本がない。
国にはもはや自前の資本がまったくなくなっている。
人々は貧困化しているので、国は課税によって資本を作ろうとする。
すべての社会主義国は、自国の資本を徐々に破壊していく。
インフレと社会主義政策が進み、信仰と高潔な人格が失われ始めるときに、信仰と高潔な人格の持ち主は、公共の敵としてターゲットにされる。
1937年に、ロジャー・バブソンは、著書If Inflation Comesにおいてこう述べた。
「3000年前と同様に、今日、国民の評判を高めるのは正義だけである。
それゆえ、統計家の立場から厳密に言うならば、私は、インフレに対するもっとも安全な防御策は、人格の陶冶であると言おう」(178ページ)。
イギリスにおいて、資本主義が国家における新しいパワーとして発展しはじめた時に、実業階級の人々は、自らをなにか独特なグループとみなしていた。宗教や政治に関して、独自の見解を持ち、単に家柄とか育ちによるのではなく、自らの社会的習慣や仕事上の規律、道徳的な生活を支える全体的な空気によっても、自らを、不信仰な宮廷や、浪費家の貴族とは異なる存在であると自覚していた。
「神は、すべての男女を召し、自分自身及び公共の利益のためにこの世で特定の職業に就かせ、それを通じてご自身に奉仕させ給う…。『偉大な世界の統治者』は、万人にしかるべき職業と活動分野を与え、自らの担当範囲を超えてあまり活動的になることがないように導かれた。そのため、自分のブドウ畑の管理を怠り、自分の仕事に専念しない人は、大きな損失を被ることになるのだ」。
2016年2月15日
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