新しい翻訳聖書の目的:三位一体の破壊


1.

NIVやNASBなどの新しい聖書翻訳は、アレキサンドリア型(Aleph, B, P75他)に基づき、すべての写本の1パーセント未満の写本に依拠している。

それに対して、キング・ジェームズ訳やジュネーブ聖書は、マジョリティ・テキスト(ビザンチン型)写本(*)に基づき、99パーセントの写本に依拠している。

アレキサンドリア型写本では、イエスの神性がぼかされている。


1コリント16・22:

1パーセント未満に過ぎない超希少写本 → 「主」

マジョリティ・テキスト → 「主イエス・キリスト」

1コリント5・4:

1パーセント未満に過ぎない超希少写本 → 「主イエス」

マジョリティ・テキスト → 「主イエス・キリスト」

2ヨハネ1・3:

1パーセント未満に過ぎない超希少写本 → 「イエス・キリスト」

マジョリティ・テキスト → 「主イエス・キリスト」

19世紀にアレキサンドリア型写本を発見し、それに基づくギリシャ語聖書を作り、新しい翻訳の土台を築いたウェストコットとホートは、イエスの神性についてあいまいである。

「キリストは、昔も今も完全な人間である」「彼は、ご自身のことを直接神と呼んだことがなかった」「彼は、『ことば』が『イエス・キリスト』と同一であるとはっきりと表現しなかった」(B・F・ウェストコット)

NIVの編集者であるエドウィン・パーマーは、このように述べた。

イエスが神であることを示す明確かつ決定的な本文はほとんどない。

黙示録1・11について、キング・ジェームズ訳(KJV)では神性を示す<わたしはアルファでありオメガであり、はじめであり終わりである>の宣言があるが、新しい翻訳聖書ではない。

1:8 I am Alpha and Omega, the beginning and the ending, saith the Lord, which is, and which was, and which is to come, the Almighty.

1:9 I John, who also am your brother, and companion in tribulation, and in the kingdom and patience of Jesus Christ, was in the isle that is called Patmos, for the word of God, and for the testimony of Jesus Christ.

1:10 I was in the Spirit on the Lord's day, and heard behind me a great voice, as of a trumpet,

1:11 <Saying, I am Alpha and Omega, the first and the last:> and, What thou seest, write in a book, and send it unto the seven churches which are in Asia; unto Ephesus, and unto Smyrna, and unto Pergamos, and unto Thyatira, and unto Sardis, and unto Philadelphia, and unto Laodicea.

1:12 And I turned to see the voice that spake with me. And being turned, I saw seven golden candlesticks;

1:13 And in the midst of the seven candlesticks one like unto the Son of man, clothed with a garment down to the foot, and girt about the paps with a golden girdle.

NIVには存在しない。

1:8 “I am the Alpha and the Omega,” says the Lord God, “who is, and who was, and who is to come, the Almighty.”

1:9 I, John, your brother and companion in the suffering and kingdom and patient endurance that are ours in Jesus, was on the island of Patmos because of the word of God and the testimony of Jesus.

1:10 On the Lord’s Day I was in the Spirit, and I heard behind me a loud voice like a trumpet,

1:11 which said: “Write on a scroll what you see and send it to the seven churches: to Ephesus, Smyrna, Pergamum, Thyatira, Sardis, Philadelphia and Laodicea.”

1:12 I turned around to see the voice that was speaking to me. And when I turned I saw seven golden lampstands,

1:13 and among the lampstands was someone like a son of man, dressed in a robe reaching down to his feet and with a golden sash around his chest.


NASBにも存在しない。

1:8“I am the Alpha and the Omega,” says the Lord God, “who is and who was and who is to come, the Almighty.”

1:9 I, John, your brother and fellow partaker in the tribulation and kingdom and perseverance which are in Jesus, was on the island called Patmos because of the word of God and the testimony of Jesus.

1:10 I was in the Spirit on the Lord’s day, and I heard behind me a loud voice like the sound of a trumpet,

1:11 saying, “Write in a book what you see, and send it to the seven churches: to Ephesus and to Smyrna and to Pergamum and to Thyatira and to Sardis and to Philadelphia and to Laodicea.”

1:12 Then I turned to see the voice that was speaking with me. And having turned I saw seven golden lampstands;

1:13 and in the middle of the lampstands I saw one like a son of man, clothed in a robe reaching to the feet, and girded across His chest with a golden sash.


この「アルファでありオメガである」は、8節にも出てくる。これが11節に繰り返されているのがKJVで、新しい翻訳では繰り返しがない。

この繰り返しがあるかないかがなぜ重要かというと、この「アルファでありオメガである」と述べた人物が12節と13節において「人の子」であると記されているからである。

つまり11節において「アルファでありオメガである。はじめであり終わりである。」の宣言の繰り返しがあれば、8節の宣言した人物が「人の子」であったことがはっきりする。

写本を見ると、11節に上記の文言を含むのはTextus Receptusであり、アレキサンドリア型写本には含まれていない。




黙示録1・11に関して、新しい翻訳がイエス・キリストの神性についてあいまいなのは、アレキサンドリア型写本の採用と関係していると思われる。

アレキサンドリア型写本を採用したホートは、8節の「この話者は、われわれの主であるはずがない。」と述べている。

ちなみに、「イエス・キリストは神ではない」と主張するエホバの証人の使用する新世界訳においても11節にこの文言はない。

2.

新しい翻訳聖書の目的は「イエス・キリストの神性をぼかすこと」にあるのではないか。

前述のNIV編集者エドウィン・パーマーと類似した発言を神智学のブラヴァツキーが述べている。

弟子たちがイエスを実際に神とみなしていたことを示す聖書の個所はまったく存在しない。生前においても、死後においても、弟子たちは、イエスを神として敬わなかった。弟子によるただの一つの崇敬の行為も記録されていない。

NIVがニューエイジ訳と言われるゆえんである。

この翻訳聖書に基づいて、ケネス・コープランドは次のように述べた。

彼が「わたしは最高神である」と主張したことはありません。…地上におられた間、彼が神であると「断言」したことはなかった。…ご自身で福音書を調べてください。そうすれば、私の発言が正しかったことに気づくでしょう。

3.

我々が使用している聖書は、ニューエイジ運動、すなわち、ルシファー礼拝の運動によって、著しく棄損されている。

どのように棄損されているかというと、イエスの神性をぼかすことによって。

ニューエイジ運動の一環であるエホバの証人も、三位一体を破壊しようとする。

三位一体を破壊する目的は、すべての宗教を一位一神教(ユニテリアン)である世界統一宗教にまとめるためである。

全人類がルシファーを崇拝する世界政府を作るうえで、世界の宗教を統一することが必要である。

新しい翻訳聖書は、そのための準備なのである。



注:G.Riplinger, New Age Bible Versions, AV Publications Corporationの第19章を参考にしました。

 

2016年11月16日



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